松元繁
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県新座市 |
生年月日 | 1971年5月30日(53歳) |
身長 体重 |
185 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト5位 |
初出場 | 1994年4月21日 |
最終出場 | 1996年9月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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松元 繁(まつもと しげる、1971年5月30日 - )は、埼玉県新座市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]朝霞高では1年秋に野球部に中途入部したが、その後は川越工業高の佐藤剛と並び、県下有数の投手として名を馳せた。2年秋の県大会では3試合5本塁打を記録し、打者としても注目された。3年春は県大会で3完封、夏は故障により4番打者で登板機会がなかったにもかかわらず、1989年のドラフト会議では広島東洋カープとヤクルトスワローズに重複5位指名され、抽選の末ヤクルトが交渉権を獲得し入団。同期入団には古田敦也や西村龍次がいた。
本格派の投手として期待されたが、2年目に腎臓疾患で重大故障認定選手となり(練習生制度廃止による1992年限定の臨時措置。同制度唯一の適用選手)[1]、選手生命の危機に立たされた。
5年目の1994年に復帰を果たすと、主に中継ぎとして活躍。1996年には主力投手が軒並み不振・故障が続出した中結果を残しチームトップの49試合に登板し初勝利を含む3勝をあげた。その後は、登板過多による故障や手術により一軍登板はなかった。1999年限りで現役を引退。
引退後はデータスタジアム株式会社に入社し、取締役執行役員を務めている[2]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994 | ヤクルト | 16 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 143 | 31.2 | 28 | 5 | 19 | 0 | 1 | 21 | 0 | 1 | 19 | 12 | 3.41 | 1.48 |
1995 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 41 | 8.1 | 7 | 1 | 7 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 4 | 3 | 3.24 | 1.68 | |
1996 | 49 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | -- | .429 | 340 | 78.2 | 80 | 7 | 36 | 7 | 4 | 46 | 4 | 1 | 34 | 28 | 3.20 | 1.47 | |
通算:3年 | 72 | 4 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 0 | -- | .375 | 524 | 118.2 | 115 | 13 | 62 | 7 | 6 | 73 | 4 | 2 | 57 | 43 | 3.26 | 1.49 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]- 初登板:1994年4月21日、対横浜ベイスターズ3回戦(神宮球場)、9回表から4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発:1994年4月23日、対中日ドラゴンズ2回戦(福岡ドーム)、7回1失点
- 初奪三振:同上
- 初勝利:1996年4月28日、対阪神タイガース5回戦(神宮球場)、5回表から2番手で救援登板、2回無失点
背番号
[編集]- 51 (1990年 - 1999年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 松元繁 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)