松尾壽之
人物情報 | |
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生誕 |
1928年9月24日 日本 福岡県 |
死没 | 2022年6月8日(93歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 |
東京大学医学部薬学科卒業 東京大学大学院化学系(薬学)博士課程修了 |
学問 | |
研究分野 | 生化学 |
研究機関 |
東京大学 理化学研究所 テュレーン大学 大阪大学 宮崎医科大学 国立循環器病研究センター |
学位 | 薬学博士(東京大学・1959年) |
称号 |
従四位 瑞宝中綬章 文化功労者 |
主な業績 |
多数のペプチドホルモンの発見 超微量の黄体形成ホルモン放出因子(LH-RH)の構造決定 |
学会 |
日本生化学会名誉会員 日本薬学会名誉会員 日本内分泌学会名誉会員 日本高血圧学会功労会員 |
主な受賞歴 |
武田医学賞(1984年) 第45回西日本文化賞(1986年) 昭和62年度朝日賞(1988年) 第79回日本学士院賞(1989年) 第11回岡本国際賞(1996年) 第1回高峰譲吉賞(1998年) |
松尾 壽之(まつお ひさゆき、1928年〈昭和3年〉9月24日 - 2022年〈令和4年〉6月8日)は、日本の生化学者[1]。ヒト心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)を始めとする多くの新規べプチドホルモンを発見[2]。国立循環器病研究センター研究所長、宮崎医科大学長などを歴任[2]。
学位は薬学博士(東京大学・1959年)[2][3]。国立循環器病研究センター名誉研究所長、宮崎大学名誉教授[2]。文化功労者[2]。位階勲等は従四位瑞宝中綬章[4][5]。
来歴
[編集]1959年(昭和34年)に東京大学大学院化学系(薬学)博士課程を修了し、1960年(昭和35年)には東京大学薬学部助手、1964年(昭和39年)には理化学研究所研究員となる[2][3]。
1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)の間カリフォルニア大学バークレー校に留学し、1970年(昭和45年)10月にはテュレーン大学医学部助教授となる[3]。自身が開発したべプチドC末端トリチウム標識法を用いて黄体ホルモン放出因子(LH-RH)の構造決定に成功し、アンドルー・ウィクター・シャリー博士のノーベル生理学・医学賞受賞に貢献[2]。
帰国後、大阪大学医学部助教授、宮崎医科大学教授などを経験[2][3]。また、武田医学賞・西日本文化賞・朝日賞などを受賞[2]。
1989年(平成元年)、「生体内情報伝達に係わる超微量ペプチドの研究―特に心房性ナトリウム利尿ホルモンの構造と機能に関する研究」で第79回日本学士院賞を受賞[2][6]。
1989年(平成元年)4月1日付で国立循環器病研究センター研究所長に就任[2][3][7]。1997年(平成9年)3月31日付で定年退職し、同名誉研究所長になる[2][3][8]。
2002年(平成14年)4月1日付で宮崎医科大学長に就任[2][3][9]。宮崎医科大学と旧宮崎大学の統合に伴い2003年(平成15年)9月30日限りで退任[2][3][10]。
2005年(平成17年)春の叙勲で瑞宝中綬章を受章[2][4]。2010年(平成22年)には文化功労者に選出[2]。
2022年(令和4年)6月8日、死去[11]。93歳没。死没日付で従四位に叙される[5]。
略歴
[編集]- 1960年(昭和35年)4月 - 東京大学薬学部助手[2][3]
- 1964年(昭和39年)1月 - 理化学研究所研究員(1970年〈昭和45年〉まで)[2][3]
- 1966年(昭和41年)- カリフォルニア大学バークレー校に留学( 1968年〈昭和43年〉まで)[3]
- 1970年(昭和45年)10月 - テュレーン大学医学部助教授[2][3]
- 1971年(昭和46年) - 大阪大学蛋白質研究所研究生[3]
- 1974年(昭和49年) - 大阪大学医学部助手(第3内科)[3]
- 1975年(昭和50年)8月 - 大阪大学医学部助教授(第2薬理)[2][3]
- 1978年(昭和53年)4月 - 宮崎医科大学医学部教授(第2生化学)[2][3]
- 1989年(平成元年)4月1日 - 国立循環器病研究センター研究所長[2][3][7]
- 1997年(平成9年)3月31日 - 定年退職、同名誉研究所長[2][3][8]
- 2000年(平成12年) - 宮崎医科大学名誉教授[3]
- 2002年(平成14年)4月1日 - 宮崎医科大学長[2][3][9]
- 2003年(平成15年)9月30日 - 退任[2][3][10]
受賞歴
[編集]- 1984年(昭和59年)11月 - 武田医学賞[2]
- 1986年(昭和61年)11月 - 第45回西日本文化賞[2]
- 1988年(昭和63年)1月 - 昭和62年度朝日賞[2]
- 1989年(平成元年)3月 - 第79回日本学士院賞[2][6]
- 1996年(平成8年) - 第11回岡本国際賞[2]
- 1998年(平成10年)11月 - 第1回高峰譲吉賞[2]
栄典・顕彰
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “松尾寿之とは”. コトバンク. 2022年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag “松尾壽之博士の略歴と業績” (PDF). 宮崎大学. 2022年7月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “Special Speakers|第91回日本内分泌学会学術総会|JES2018”. www.c-linkage.co.jp. 2022年7月16日閲覧。
- ^ a b c 『官報』号外第97号 平成17年5月2日
- ^ a b c 『官報』第775号10頁 令和4年7月13日
- ^ a b “恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧 第71回 (昭和56年) ~ 第80回 (平成2年)|日本学士院”. www.japan-acad.go.jp. 日本学士院. 2022年7月16日閲覧。
- ^ a b 『官報』第71号9頁 平成元年4月12日
- ^ a b 『官報』号外第75号6頁 平成9年4月17日
- ^ a b 『官報』第3337号11頁 平成14年4月9日
- ^ a b 『官報』第3709号5頁 平成15年10月10日
- ^ “公益社団法人 日本生化学会 » Blog Archive » 訃報 名誉会員 松尾 壽之 先生”. 日本生化学会. 2022年7月16日閲覧。
関連項目
[編集]- 心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)
- 脳性ナトリウム利尿ペプチド(BNP)
- 寒川賢治
- 有村章
公職 | ||
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先代 仁村泰治 |
国立循環器病研究センター研究所長 1989年4月1日 - 1997年3月31日 |
次代 眞崎知生 |