松岡大吾
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県倉敷市 |
生年月日 | 1970年5月27日(54歳) |
身長 体重 |
185 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト外 |
初出場 | 1996年8月18日 |
最終出場 | 1997年8月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
松岡 大吾(まつおか だいご、1970年5月27日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(投手)。
1970年代から1980年代前半にかけてヤクルトのエースとして大活躍し191勝をあげた松岡弘の甥。
来歴・人物
[編集]関西高時代は、学校が創立100周年を迎えた1987年に夏の甲子園に出場。ベスト8で東東京代表の帝京高に敗退。
1988年オフ、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。入団時の目標として、叔父である松岡弘が191勝を挙げていたため、「残り9勝は僕が稼いで2人で名球会」と発言した。
プロ8年目となる1996年に一軍デビューし、14試合に登板するや、スライダー、カーブを武器にプロ初勝利を含む2勝を挙げた。
1997年は9試合の登板にとどまり、0勝0敗、防御率は5.00と低迷。
1998年は一軍登板はなく、同年限りで現役を引退した。
現役引退後は、「東京ヤクルトスワローズ オンラインセレクトショップ」の運営を行うバンチュ株式会社の代表取締役を務めている。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | ヤクルト | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 96 | 24.0 | 13 | 2 | 10 | 2 | 0 | 18 | 1 | 0 | 8 | 7 | 2.63 | 0.96 |
1997 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 42 | 9.0 | 14 | 1 | 3 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 6 | 5 | 5.00 | 1.89 | |
通算:2年 | 23 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 138 | 33.0 | 27 | 3 | 13 | 2 | 0 | 20 | 2 | 0 | 14 | 12 | 3.27 | 1.21 |
記録
[編集]- 初登板:1996年8月18日、対読売ジャイアンツ19回戦(東京ドーム)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に宮本和知から
- 初勝利:1996年8月21日、対阪神タイガース20回戦(明治神宮野球場)、4回表に2番手で救援登板、4回2/3を1失点
- 初先発:1996年9月28日、対中日ドラゴンズ26回戦(ナゴヤ球場)、6回3失点で敗戦投手
背番号
[編集]- 65(1989年 - 1996年)
- 37(1997年 - 1998年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 松岡大吾 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)