松岡悟
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まつおか さとる 松岡 悟 | |
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生誕 |
1938年3月20日(86歳)[1][2][3] 日本 北海道函館市[1][2][3] |
別名 | 立川薮医志[1] |
出身校 | |
職業 | |
肩書き | |
親 | 松岡 陸三(父) |
松岡 悟(まつおか さとる、1938年[1][2]3月20日[3] - )は、日本の医師、作家、馬主。
函館市内で小児科院を開業していた傍ら、文筆業や馬主としても活動した。
経歴・人物
[編集]1938年、函館市出身[1][2]。順天堂大学医学部大学院を修了後、同大学医学部の小児科講師を経て函館市立函館病院小児科科長、のち同市内に松岡小児科を開院し院長となる[2]。1995年6月まで院長を務め、現在は警察庁警察学校の理事官(診療所長)を務める[2]。
人物
[編集]競馬と落語が趣味[2]。立川談志の門下生であり、「立川薮医志」の芸名を持つ[1]。
馬主活動と所有馬
[編集]日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は緑、白星散、袖赤二本輪、冠名には「ドクター」を用いる。函館馬主協会常務理事を務めていた。
1971年頃に公営競馬、次いで1976年頃にJRAの馬主資格を取得[1]。小学校3年生の頃から競馬場に出入りしていたという[1]。なお、函館馬主協会初代会長の松岡陸三は父で、終戦直後に函館競馬再開をダグラス・マッカーサーに直談判しようとするなど、戦後の競馬再開に尽力した人物であったと悟は振り返っている[1]。
主な所有馬
[編集]斜字は地方重賞。
- ドクターリバティ(1983年ジュニアカップ、青雲賞、1985年シルバーカップ、日本中央競馬会理事長賞)
- ドクタースパート(1988年北海道3歳優駿、京成杯3歳ステークス、1989年皐月賞、1990年ステイヤーズステークス)
- ドクタースパーク(1989年道営記念)
- ドクターグリム(2009年福島ジャンプステークス)
著書
[編集]小説
[編集]- 『蹴る馬』(三一書房、1991年。ISBN 978-4380912115)
- 『覆面を取った馬』(三一書房、1993年。ISBN 978-4380932281)
- 『競馬ミステリー 発走除外』(三一書房、1995年。ISBN 978-4380952319)
- 『騎乗停止』(三一書房、1998年。ISBN 978-4380982637)
- 『見慣れた顔 ― 医師庵順平が覗き見た奇っ怪な世界』(出版芸術社、1999年。ISBN 978-4882931720)
医学書
[編集]- 『母と子の現代病 ― このままでは子どもがダメになる』(三一書房、1987年。ISBN 978-4380872310)
- 『子どもの病気の見わけ方 ― ユーモア先生ズバリ診断』(三一書房、1993年。ISBN 978-4380932274)
- 『いざという時カゼで泣かないために』(出版芸術社、2001年。ISBN 978-4882931997)
随筆
[編集]- 『ぬくめ酒』(三一書房)[1]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『優駿』1992年10月号(日本中央競馬会)
- 「杉本清の競馬談義 第91回 ゲスト・松岡 悟さん」
- 『はこだて財界 第23巻第7号』(函館財界問題研究所)
- 「小児科医で皐月賞優勝馬ドクタースパートのオーナー松岡悟先生――競馬サスペンス「蹴る馬」出版、好評発売中」