松岡辰方
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 1764年3月14日(宝暦14年2月12日) |
死没 | 1840年5月31日(天保11年5月1日)) |
別名 | 字:子弁。通称:平治郎、清助、清左衛門。号:双松軒、梅軒。 |
戒名 | 礼本院倹誉釈徳中和居士 |
墓所 | 目黒祐天寺 |
主君 | 有馬氏 |
藩 | 久留米藩 |
氏族 | 酒井氏→丹治姓松岡氏 |
父母 | 酒井忠良 |
子 | 松岡行義 |
松岡 辰方(まつおか ときかた) は、江戸時代後期の武士。筑後国久留米藩士。有職故実家。
生涯
[編集]長州藩(山口県)藩士酒井忠良の次男。久留米藩第8代藩主有馬頼貴の正室養源院(長州藩主毛利重就の娘)附の老女であった松岡の名跡を継ぎ、松岡家を興した。[1]
江戸に住み、塙保己一に国学を、伊勢貞春、高倉永雅に有職故実を学び、和学講談所で会頭を務めた。著作は『位階便図』『装束織文図絵』、『冠帽図会』、『織文図会』、『女官装束織文図会』等がある。また、乃木希次(乃木希典の父)に小笠原流を伝授した。
1840年(天保11年)死去。一説には1843年(天保14年)死去とも。享年77歳。子の行義、孫の明義も家学を継ぎ故実家となった。