コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松平忠貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松平 忠貞(まつだいら たださだ、天正16年(1588年) - 元和5年6月24日1619年8月3日[1])は、江戸時代前期の旗本。通称は長三郎、惣兵衛。

松平家忠の次男。母は水野忠分の娘。妻は彦坂光正の娘。子に忠良、忠治がいる[1]

慶長8年(1603年)より徳川家康近侍し、書院番を務めた。慶長15年(1610年)10月14日に三河国宝飯郡で1000石を与えられた。元和5年(1619年)、徳川秀忠の上洛に供奉し、同年6月24日に伏見城にて死去。享年32。法名は源洞[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『寛政重修諸家譜 第1輯』国民図書、1922年、p.158。