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松平 忠貞(まつだいら たださだ、天正16年(1588年) - 元和5年6月24日(1619年8月3日)[1])は、江戸時代前期の旗本。通称は長三郎、惣兵衛。
松平家忠の次男。母は水野忠分の娘。妻は彦坂光正の娘。子に忠良、忠治がいる[1]。
慶長8年(1603年)より徳川家康に近侍し、書院番を務めた。慶長15年(1610年)10月14日に三河国宝飯郡で1000石を与えられた。元和5年(1619年)、徳川秀忠の上洛に供奉し、同年6月24日に伏見城にて死去。享年32。法名は源洞[1]。
- ^ a b c 『寛政重修諸家譜 第1輯』国民図書、1922年、p.158。