松平忠貞
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松平 忠貞(まつだいら たださだ、天正16年(1588年)‐元和4年(1619年))は江戸時代前期の旗本。
通称:惣兵衛
徳川家康に近侍し、御書院番を務めた。慶長15年(1610年)に三河国内で1000石を与えられ、子の忠良の時に蔵米1200俵を与えられ、上野・下野国内で500石を与えられた。
忠貞の死後は、
2代:忠良(ただよし)【1616年‐1692年】
3代:忠福(ただとみ、ただよし)【1637年‐1687年】
父は松平忠良。母は吉良義弥の娘。妻は荒川定安の娘。(荒川定安は吉良義弥の弟)
御書院番を務める。
4代:忠和(ただかず)【1662年‐1710年】
御小姓組を務める。
5代:忠豊(ただとよ)【1675年‐1724年】
6代:忠晴(ただはる)【1712年‐1733年】
父は松平高久。(高久は忠和の弟・忠豊の兄。)母は不明。
7代:忠頼(ただより)【1716年‐1767年】
西ノ丸御小姓組を務める。
8代:忠直(ただなお)【1737年‐1789年】
御書院番を務める。
9代:忠朋(ただとも)【1750年‐?年】
父は松平忠頼。母は松平高久の娘。先代、忠直の弟。妻は岡村直昌の娘。
10代:忠温(ただあつ)【?年‐?年】
父は織田信直。母は蒔田広尊の娘。妻は松平忠朋の娘。(忠朋の婿養子)
初名は、織田信温(おだのぶはる)