松平直道
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保9年8月26日(1724年10月12日) |
死没 | 安永5年11月16日(1776年12月26日) |
改名 | 辰之助(幼名)、直道 |
官位 | 従五位下大隅守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 出雲母里藩主 |
氏族 | 越前松平家支流母里松平家 |
父母 | 父:松平直員、母:島氏 |
兄弟 | 直道、直行、大久保忠敬正室、戸田光智正室 |
妻 |
正室:佐竹義道の娘 継室:毛利高通の娘 |
子 | 養子:直行 |
松平 直道(まつだいら なおみち)は、江戸時代中期の大名。出雲国母里藩4代藩主。直政系越前松平家母里藩分家4代。
略歴
[編集]享保9年(1724年)誕生。3代藩主・松平直員の長男。母は島氏。幼名は辰之助。
明和2年(1765年)、父・直員の隠居に伴い家督を継ぐ。従五位下大隅守に任官。 直道には世子がなかったため、父・直員は次男(直道の弟)の直行に家督を相続させようとしたが、直道はこれに反対し、家臣の平山弾右衛門に下げ渡したかつての愛妾が生んだ子・弥市を世子に据えようとしたことでお家騒動(母里騒動)が発生した。結局、明和3年(1766年)5月18日に事件が公に露見し、本藩の松江藩の介入により平山を斬首、その他関わった一味を追放処分とすることで収まり、世子は当初の直員の思惑通り直行に決定した。