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松平重良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 重良
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 慶安2年(1649年
死没 元禄11年12月26日1699年1月26日
改名 重良→円忠(法名)
別名 八十郎、孫大夫
墓所 西迎寺
官位 従五位下美濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
氏族 深溝松平家
父母 父:松平重次 母:揖斐政景養女
兄弟 内藤正吉室、小出尹重室、戸田正吉室、重良
大島義近の娘
養子:重矩小笠原常春
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松平 重良(まつだいら しげよし、慶安2年(1649年)- 元禄11年(1699年))は、江戸時代前期の旗本

略歴

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万治3年(1660年)2月15日、4代将軍・徳川家綱に拝謁。寛文9年(1669年)7月19日に家督を継ぎ、旗本寄合席となる。

寛文11年(1671年書院番に列する。延宝6年(1678年)4月22日、大久保忠朝佐倉藩転封の際、保田宗卿とともに佐倉に赴き、忠朝の家臣に城を渡す。

天和元年2月29日(1681年4月17日本所奉行に転任、4月14日目付に転任、12月27日布衣の着用を許される。翌年4月21日、上野国山田郡下野国梁田郡両郡において500石を加増され、3000石の知行となる。天和3年3月23日(1683年4月19日徳川家光三十三回忌を行う際、命を受けて日光に赴く。貞享元年1月11日(1684年2月26日)一時的に普請奉行を兼任する。

元禄元年7月27日(1688年8月22日勘定奉行に転任、12月25日、従五位下美濃守に叙される。

元禄11年(1698年)6月武蔵国の所領を相模国高座郡に移す。同年12月26日(1699年1月26日)死去。享年50。

四谷西迎寺に葬られた。養子の重矩戸田正吉の次男、重良の甥)が家督を継いだ。

系譜

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父母

正室

養子

参考文献

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