松方満佐子
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まつかた まさこ 松方 満佐子 | |
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石橋和訓による肖像画 | |
生誕 |
川上 満佐子 1845年4月18日 日本 鹿児島県鹿児島市 |
死没 |
1920年9月13日(75歳没) 日本 |
配偶者 | 松方正義 |
親 | 川上助八郎(父) |
松方 満佐子(まつかた まさこ、1845年4月18日〈弘化2年3月12日〉[1] - 1920年〈大正9年〉9月13日)は、日本の4代・6代内閣総理大臣である松方正義の妻(内閣総理大臣夫人)。鹿児島県鹿児島市出身。
経歴
[編集]薩摩藩士である川上助八郎の長女として荒田村(現・鹿児島市)に生まれる。1860年(万延元年)に松方正義と結婚[2]。4男1女の子を産み、妾の子供たちも一緒に養育した[2]。
1877年(明治10年)に上京し、自邸とした三田邸(現・三田二丁目)は、政府から払い下げられた伊予松山藩久松松平家中屋敷跡の7000坪の土地で、敷地内には沢庵禅師作庭の庭もあった[2]。1887年の明治天皇行幸時には新館「恵露館」を建設して迎え、天皇より子供の数を尋ねられた正義は子沢山のため即答できなかったという[2]。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.576
- ^ a b c d 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第一章 松方正義」の項
- ^ “百年ニュース】1920(大正9)9月13日(月) 松方正義夫人松方満佐子没。”. note. 2021年9月19日閲覧。
先代 山縣友子 伊藤梅子 |
内閣総理大臣夫人 1891年5月6日 - 1892年8月8日 1896年9月18日 - 1898年1月12日 |
次代 伊藤梅子 伊藤梅子 |