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松本治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松本 治
生誕 (1957-02-25) 1957年2月25日(67歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府
学歴 武蔵野音楽大学中退
ジャンル ジャズポップ
職業 トロンボーン奏者、作曲家編曲家
担当楽器 トロンボーン
活動期間 1978年 -
公式サイト Osamu Matsumoto Website

松本 治(まつもと おさむ、1957年2月25日 - )は、日本トロンボーン奏者、作曲家編曲家

経歴

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大阪府出身。1969年、父親の転勤に伴い鳥取県に転居。1971年、吹奏楽部に入部し、トロンボーンを始める。1975年、武蔵野音楽大学入学(1978年退学)。

1978年以降3年にわたって、森敏男とブルーコーツ・オーケストラ、原信夫とシャープス&フラッツ、高橋達也と東京ユニオン・オーケストラなどのビッグバンドに参加する。

以降フリーランスとして、坂田明セクステット、仙波清彦のグループ・はにわオールスターズ、今堀恒雄のグループ・ティポグラフィカ芳垣安洋のグループ・VINCENT ATMICUSなどに参加。東京ポップスオーケストラ・渋谷オーケストラ、自己のグループTrigonometria、Horny Funk Gang等での演奏活動の他に、自由劇場の演劇作品に音楽提供するなど、ジャズ、ポップスを問わず作曲編曲活動を行う。

山下洋輔スペシャルビッグバンドの一員として、横浜DeNAベイスターズ応援曲「熱き星たちよ」のジャズ・バージョン「ベイスターズ・ジャンプ」をビッグバンドアレンジの上、レコーディングに参加したり、2005年に東京オペラシティ・タケミツ・メモリアルで山下が上演した「ジャズマン忠臣蔵」のアレンジおよび指揮を務めるなどしている。2012年にサントリーホールで山下洋輔スペシャル・ビッグバンドで行ったコンサートで、アレンジに関して初めての高い評価を新聞紙上で受ける[注 1]

1994年から洗足学園音楽大学ジャズ・コース講師として教鞭をとる。

ディスコグラフィー(個人名義のみ)
  • 和風(2002年)
  • 蒼き空に身悶えて(2005年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 新聞記事「山下洋輔スペシャル・ビッグバンド フリーは精巧にのたうつ」(毎日新聞 2012年7月12日 東京夕刊)【格調ある赤坂のサントリーホールのステージに、日本の各楽器分野を代表するえりすぐりのトッププレーヤーがライトを浴びて勢ぞろい。顔ぶれを一瞥(いちべつ)しただけで、何かが起こりそうな予感が脳裏を走る。予感はズバリ的中した。試み自体はむろん初めてではない。だが、この夜は看板に偽りなしのスペシャルビッグバンドの熱演。まさに時を忘れるほどのスペシャルな一夕(7月6日)だった。最大の殊勲者は編曲者の松本治。看板は後半のムソルグスキー作曲「展覧会の絵」だが、それ以上といいたいくらい前半の「ボレロ10+件」の斬新なアレンジが聴く者の胸を射た。ラベルのこの曲はむろん延々繰り返されるボレロ10+件のリズムが核になる。ところが、松本はこのリズムを取り払った。ビートを刻むのはベースだけ。このアンバランスの美学! 高橋信之介のドラムもアンサンブルも終始フリーのまま、タクトを振る松本の指示で強弱をうねらせる。その間聴き手の脳裏で鳴っているあの3拍子を彼は邪魔しない。あの旋律がねじれ、のたうち、錯綜(さくそう)しつつ、3拍子がよみがえる最後の大団円へ。旋律的「ボレロ10+件」だった。 「展覧会の絵」でも松本は、この組曲を人気曲にしたラベルのオケ版に添いながら、精巧にたけたサウンドを作り上げる。スリリングな換骨奪胎の妙味!】

出典

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外部リンク

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