松村務本
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松村 務本(まつむら かねもと、1853年2月5日(嘉永5年12月27日) - 1905年2月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]金沢藩士、御膳番(300石)・松村八郎左衛門の二男として生まれる[1]。戊辰戦争に従軍し、1871年、大阪教導大隊に入る。軍曹、曹長、少尉試補と昇進し、1873年9月、陸軍少尉任官。陸軍戸山学校、近衛歩兵第1連隊中隊長心得などを経て、1877年3月から9月まで西南戦争に出征した。
近衛歩兵第2連隊副官、歩兵第18連隊大隊長、仙台鎮台副官、第2師団参謀、将校学校監督官、歩兵第3連隊長などを歴任し、日清戦争には第6師団参謀長として出征し、威海衛攻略に従軍。近衛師団司令部付、同師団参謀長などを経て、1897年9月、陸軍少将に進級。
台湾守備混成第2旅団長を経て、日露戦争に歩兵第1旅団長として出征し、南山の戦いに参戦。1904年7月、陸軍中将となり、伏見宮貞愛親王の後任として第1師団長に就任。旅順攻囲戦の後に倒れ、1905年2月に遼陽で戦病死した。
その生前の功績により、1907年10月、二男松村務に男爵が追贈された。
栄典
[編集]- 位階
- 1894年(明治27年)7月20日 - 従五位[2]
- 1897年(明治30年)10月30日 - 正五位[3]
- 1902年(明治35年)12月10日 - 従四位[4]
- 1904年(明治37年)12月16日 - 正四位[5]
- 1905年(明治38年)2月4日 - 従三位[6]
- 勲章