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松村篁雨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松村 篁雨(まつむら こうう 享保18年(1733年) - 文化6年7月17日1809年8月15日))は、江戸時代俳人医師。幼名を小十郎、通称正敏、号は篁雨・松羅堂・案山子庵。

来歴

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武蔵国足立郡下上谷村(現・鴻巣市上谷)に生まれ、鴻巣宿で医業を営む[1]。同郷の横田柳几の門人となり、松羅堂と号する[1]安永天明年間、師匠の柳几とともに諸国行脚する。『松蘿堂随筆』『鹿島紀行』『筑紫紀行』『篁雨句集』などの著書がある。実家の家督は弟の甚兵衛に譲っていたが晩年は実家に戻り、77歳で没する。辞世の句は「道ばたに盆かわらけの破れけり」。墓は上谷の観音堂。

脚注

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  1. ^ a b 国・県・市指定文化財一覧|鴻巣市ホームページ”. www.city.kounosu.saitama.jp. 2016年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月22日閲覧。