松永安彦
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松永 安彦(まつなが やすひこ、1860年4月16日(万延元年3月26日[1]) - 1931年(昭和6年)2月1日[2])は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・内藤。
経歴
[編集]駿府三番町(現静岡県静岡市葵区三番町)出身[3]。内藤翠嶺の二男[4]として生まれ、富士郡平垣村(加島村、富士町を経て現富士市平垣)の松永正方の婿養子となる[3]。1871年(明治4年)に家督を相続した[4]。1880年(明治13年)平垣村会議員に当選[5]。ついで加島村会議員、静岡県会議員、加島村長、富士郡会議員などを歴任した[2]。
1897年(明治30年)静岡県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[2]。富士駅の開設、富士身延鉄道の開通、富士製紙第八工場の誘致などに尽力した[3]。
家族
[編集]- 実父・内藤翠嶺 - 静岡藩士
- 養父・松永省耕(別名・安兵衛、正方、1817-1871) - 農業。地元の開発のために多くの献金をし、大区長、蚕種組合副頭取などを兼任、『養蚕小学』を著した
- 妻・くに - 松永省耕の二女
- 長男・安衞 - 早稲田大学政治経済科を卒業し、父親が頭取の加島銀行、富士川銀行の重役となる。前妻・鶴は大沢謙二の娘、後妻・末子は公爵三条実美の娘[7][8]。
- 三女・みち - 2代目西川忠亮の妻
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録』初版、1903年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 静岡新聞社出版局編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。
- 竹内理三ほか 編纂『静岡県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典22、角川書店、1995年。ISBN 4040022203。