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松永安彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松永 安彦(まつなが やすひこ、1860年4月16日(万延元年3月26日[1]) - 1931年昭和6年)2月1日[2])は、明治時代の政治家貴族院多額納税者議員。旧姓・内藤。

経歴

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駿府三番町(現静岡県静岡市葵区三番町)出身[3]。内藤翠嶺の二男[4]として生まれ、富士郡平垣村(加島村、富士町を経て現富士市平垣)の松永正方の婿養子となる[3]。1871年(明治4年)に家督を相続した[4]1880年(明治13年)平垣村会議員に当選[5]。ついで加島村会議員、静岡県会議員、加島村長、富士郡会議員などを歴任した[2]

1897年(明治30年)静岡県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[2]富士駅の開設、富士身延鉄道の開通、富士製紙第八工場の誘致などに尽力した[3]

家族

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  • 実父・内藤翠嶺 - 静岡藩
  • 養父・松永省耕(別名・安兵衛、正方、1817-1871) - 農業。地元の開発のために多くの献金をし、大区長、蚕種組合副頭取などを兼任、『養蚕小学』を著した
  • 妻・くに - 松永省耕の二女
  • 長男・安衞 - 早稲田大学政治経済科を卒業し、父親が頭取の加島銀行、富士川銀行の重役となる。前妻・鶴は大沢謙二の娘、後妻・末子は公爵三条実美の娘[7][8]
  • 三女・みち - 2代目西川忠亮の妻

脚注

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  1. ^ 『人事興信録』初版、788頁。
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 214頁.
  3. ^ a b c 竹内ほか 1995, 404頁.
  4. ^ a b 『静岡県歴史人物事典』436頁。
  5. ^ 衆議院、参議院 編 1960, 213-214頁.
  6. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。
  7. ^ 松永安彦『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  8. ^ 松永安衞『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録』初版、1903年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 静岡新聞社出版局編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。
  • 竹内理三ほか 編纂『静岡県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典22、角川書店、1995年。ISBN 4040022203