松浦陞
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松浦 陞(まつら すすむ、1884年(明治17年)3月15日 - 1962年(昭和37年)8月31日)は、明治時代から昭和時代の華族。旧平戸藩主松浦家第39代当主。茶人。鎮信流を継承する石州流鎮信派の家元で如月と号する。
松浦厚の子。夫人は徳川篤敬長女敬子[1]。敬子病没後、水無瀬忠輔の娘治子を夫人に迎える。子に松浦素、松浦規、松浦擇、松浦敏ら。
経歴
[編集]明治32年(1899年)、学習院初等学科を卒業する。昭和9年(1934年)、父厚の死去により、家督を継ぐ。茶道の家元として若いときより精力を注ぎ、皇族にも伝授をしている。昭和30年(1955年)松浦史料博物館設立のため、明治26年(1893年)に平戸に建てられた松浦家の私邸「鶴ヶ峰邸」の建物・土地および先祖伝来の資料を寄贈した。
家族
[編集]栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、531頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 『官報』第1148号「叙任及辞令」1916年5月31日。
日本の爵位 | ||
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先代 松浦厚 |
伯爵 (平戸)松浦家第3代 1934年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |