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林山主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
林山主
時代 平安時代初期
生誕 天平21年(749年
死没 天長9年7月28日832年8月27日
官位 従四位下縫殿頭
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇淳和天皇
氏族朝臣→八多朝臣
父母 父:林海主
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林 山主(はやし の やまぬし)は、平安時代初期の貴族正六位上・林海主の子。官位従四位下縫殿頭

出自

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林氏八多氏の一族。元は姓であったが、延暦6年(787年)に山主の父・海主が朝臣姓を与えられている[1]

経歴

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嵯峨朝初頭の弘仁元年(810年従五位下に叙せられる。

弘仁13年(822年内位従五位下に叙せられると、天長3年(826年)従五位上、天長6年(829年正五位下と嵯峨朝末から淳和朝にかけて順調に昇進した。またこの間、諸陵頭縫殿頭を歴任し、但馬権介も兼ねた。天長8年(831年従四位下に至る。

天長9年(832年)7月28日卒去。享年84。没後の天長10年(833年)に八多朝臣姓を追贈された。

人物

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公平な性格で、人に対する愛憎の気持ちを持つことがなかった。古くからの廷臣で声望のある国家の功臣であった[2]

官歴

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日本後紀』による。

脚注

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  1. ^ 続日本紀』延暦6年6月21日条
  2. ^ 『日本後紀』天長9年7月28日条

参考文献

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