林山主
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 天平21年(749年) |
死没 | 天長9年7月28日(832年8月27日) |
官位 | 従四位下・縫殿頭 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 林朝臣→八多朝臣 |
父母 | 父:林海主 |
林 山主(はやし の やまぬし)は、平安時代初期の貴族。正六位上・林海主の子。官位は従四位下・縫殿頭。
出自
[編集]林氏は八多氏の一族。元は臣姓であったが、延暦6年(787年)に山主の父・海主が朝臣姓を与えられている[1]。
経歴
[編集]弘仁13年(822年)内位の従五位下に叙せられると、天長3年(826年)従五位上、天長6年(829年)正五位下と嵯峨朝末から淳和朝にかけて順調に昇進した。またこの間、諸陵頭・縫殿頭を歴任し、但馬権介も兼ねた。天長8年(831年)従四位下に至る。
天長9年(832年)7月28日卒去。享年84。没後の天長10年(833年)に八多朝臣姓を追贈された。
人物
[編集]公平な性格で、人に対する愛憎の気持ちを持つことがなかった。古くからの廷臣で声望のある国家の功臣であった[2]。
官歴
[編集]『日本後紀』による。
- 延暦6年(787年) 6月21日:臣姓から朝臣姓に改姓
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁元年(810年) 11月22日:外従五位下
- 弘仁13年(822年) 10月1日:従五位下(内位)
- 時期不詳:諸陵頭。縫殿頭。兼但馬権介
- 天長3年(826年) 正月7日:従五位上
- 天長6年(829年) 正月7日:正五位下
- 天長8年(831年) 3月8日:従四位下、見縫殿頭
- 天長9年(832年) 7月28日:卒去
- 天長10年(833年) 日付不詳:林朝臣姓から八多朝臣姓に改姓