林﨑遼
トラバース野球部 #1 | |
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西武時代 (2013年7月31日、こまちスタジアムにて) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県姫路市 |
生年月日 | 1988年6月12日(36歳) |
身長 体重 |
175 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト5位 |
初出場 | 2011年7月19日 |
最終出場 | 2014年9月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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林﨑 遼(はやしざき りょう、1988年6月12日 - )は、兵庫県姫路市出身[1]の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]中学生時代は投手としてプレーし、全国大会での優勝経験がある[2]。
東洋大姫路高校では1年生の春にレギュラーを獲得[2]。3年生の時、夏の甲子園・全国大会では全3試合に3番・遊撃手として先発出場し、12打数6安打、2本塁打、5打点、打率.500の成績で、準々決勝の駒澤大学苫小牧戦では、田中将大から2点本塁打を含む3安打を放った[3]。
東洋大学3年生の時、東都大学野球・春季リーグで11試合に出場し43打数14安打、1本塁打、12打点、打率.326の成績で、二塁手のベストナインに選ばれた[4]。7月に行われた第37回日米大学野球選手権大会の日本代表メンバーに選ばれ[5]、全5試合に出場したが13打数無安打だった[6]。4年生時の春季リーグでは12試合に出場し44打数13安打、1本塁打、4打点、打率.295の成績で遊撃手のベストナインに選ばれた[7]。7,8月に開催された第5回世界大学野球選手権大会の日本代表メンバーに選ばれたが、右肘痛の為に辞退した[8]。東都大学リーグ通算成績は91試合に出場、285打数69安打、8本塁打、打率.242[2]。
2010年のプロ野球ドラフト会議で、埼玉西武ライオンズに5巡目で指名[9]。契約金3,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した[10]。背番号は00[11]。ちなみに、この会議での指名を経て日本ハムに入団した乾真大は、高校・大学時代のチームメイトだった[12]。
西武時代
[編集]2011年には、7月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)の8回表に代打で一軍デビュー[13][14]。翌20日の同カードでは、「9番・二塁手」としてスタメンに起用された[15]。しかし、一軍公式戦への出場はこの2試合のみで、3打数無安打に終わった。その一方で、イースタン・リーグ公式戦には67試合に出場。打率.236、2本塁打、21打点という成績を残した[16]。
2012年には、一軍公式戦5試合に出場。代走で1得点を記録したが、打席に立つ機会はなかった。イースタン・リーグ公式戦では、チーム最多の101試合に出場。打率.258、5本塁打、35打点を記録した[17]ほか、内野の全ポジションを守った[18]。なお、シーズン終了後には、背番号を45に変更することが球団から発表された[19]。
2013年は、「2番・二塁手」としてスタメンで出場した6月21日の対オリックス・バファローズ戦(西武ドーム)で一軍初安打を放つ[20][21]と、7月4日の同カード(京セラドーム大阪)では、中前への適時打で一軍初打点を挙げた[22][23]。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦で自己最多の31試合に出場。シーズン終了後の12月24日には、自身と同じ年齢の一般女性と結婚した[24]。
2014年は、4月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦(西武ドーム)で、シーズン初の一軍公式戦出場。「9番・遊撃手」としてスタメンで起用されたが、1回表の守備で打球を捕ろうと飛び込んだ際に左肩を痛めたため、1打席も立たずに交代した[25]。その後の診断で脱臼が判明した[26]が、夏場に一軍へ復帰すると、レギュラーシーズン通算で17試合に出場。打席数(38)、安打数(10)、得点(5)、犠打数(2)で自己最多記録を残したほか、2本の二塁打を放った。シーズン終了後の10月に左肩の手術を受けた[27]ため、患部のリハビリへ専念することを目的に、同月29日に球団から支配下選手契約の解除を通告[28]。11月11日には、育成選手として契約したことや、背番号を120に変更することが球団から発表された[29]。
2015年は、6月1日付で支配下登録選手に復帰し、背番号を45に変更[30][31]。イースタン・リーグ公式戦では、93試合の出場で、打率.271、1本塁打、16打点という成績を残した[32]。しかし、復帰後は一軍公式戦への出場機会がなく、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[33]。
西武退団後
[編集]2015年11月10日に、12球団合同トライアウト(草薙球場)へ参加。7人の投手に対して、6打数2安打(1二塁打)1四球という結果を残した[34]。しかし、他球団への移籍に至らず、独立リーグや社会人野球チームからの誘いもあったが、現役引退を決断した[35]。
2016年2月[35]、自身と同時に西武から戦力外を通告された梅田尚通・前川恭兵と共に、株式会社トラバース(かつてのチームメイトだったG.G.佐藤の実父が経営する測量会社)へ入社した[36]。地盤改良の業務に就く[35]。同社の軟式野球部にも参加しており、内野手[37]として4番を張っている[35]。また、投手としても多く起用されており、2019年の高松宮賜杯全日本軟式野球大会2部千葉県大会では1回戦から決勝戦までの全5戦に登板し、2回戦からは決勝戦までは1人で投げ抜く奮闘ぶりを見せている[38]。
人物
[編集]家族は妻と1女[35]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2011 | 西武 | 2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2012 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | .--- | .--- | .--- | |
2013 | 31 | 36 | 33 | 4 | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 12 | 0 | .152 | .200 | .152 | .352 | |
2014 | 17 | 44 | 38 | 5 | 10 | 2 | 0 | 0 | 12 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 6 | 1 | .263 | .333 | .316 | .649 | |
通算:4年 | 55 | 83 | 74 | 10 | 15 | 2 | 0 | 0 | 17 | 2 | 0 | 1 | 3 | 0 | 6 | 0 | 0 | 18 | 1 | .203 | .263 | .230 | .492 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
二塁 | 三塁 | 遊撃 | |||||||||||||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2011 | 西武 | 2 | 4 | 3 | 0 | 3 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2012 | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | .667 | ||||||
2013 | 13 | 15 | 16 | 1 | 2 | .969 | 10 | 3 | 2 | 1 | 0 | .833 | 7 | 3 | 2 | 0 | 1 | 1.000 | |
2014 | 10 | 21 | 34 | 2 | 3 | .965 | 4 | 0 | 6 | 1 | 1 | .857 | 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | .800 | |
通算 | 25 | 40 | 53 | 3 | 8 | .968 | 16 | 3 | 8 | 2 | 1 | .846 | 12 | 7 | 4 | 2 | 1 | .846 |
記録
[編集]- 初出場:2011年7月19日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に原拓也の代打として出場
- 初打席:同上、8回表に金澤健人から右飛
- 初先発出場:2011年7月20日、対福岡ソフトバンクホークス11回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9番・二塁手として先発出場
- 初安打:2013年6月21日、対オリックス・バファローズ7回戦(西武ドーム)、3回裏にアレッサンドロ・マエストリから中前安打
- 初打点:2013年7月4日、対オリックス・バファローズ12回戦(京セラドーム大阪)、2回表に海田智行から中前適時打
背番号
[編集]- 00 (2011年 - 2012年)
- 45 (2013年 - 2014年、2015年6月1日 - 同年終了)
- 120 (2015年2月1日 - 2015年5月31日)
脚注
[編集]- ^ 「2015プロ野球 12球団全選手 カーラー百科名鑑」 廣済堂出版発行 105頁
- ^ a b c 「別冊宝島 プロ野球選手データ名鑑2011」 宝島社発行 34頁
- ^ 第88回全国高校野球選手権・甲子園 >最新スコア 東洋大姫路 対 甲府工、東洋大姫路 対 桐生一、駒大苫小牧 対 東洋大姫路 日刊スポーツ
- ^ 平成21年度 春季リーグ戦 1部リーグ 選手成績 一般財団法人 東都大学野球連盟
- ^ 第37回 日米大学野球選手権大会 日本代表チーム 公益財団法人 全日本大学野球連盟
- ^ 第37回 日米大学野球選手権大会(2009年) アメリカ - 日本 1回戦、日本 - アメリカ 2回戦、アメリカ - 日本 3回戦、日本 - アメリカ 4回戦、アメリカ - 日本 5回戦
- ^ 平成22年度 春季リーグ戦 1部リーグ 選手成績 一般財団法人 東都大学野球連盟
- ^ 東洋大・林崎、社会人内定も夢への一発! スポニチ Sponichi Annex 2010年9月25日掲載
- ^ 2010年 ドラフト会議開催! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2010年10月28日配信
- ^ 西武 林崎と合意 スポニチ Sponichi Annex 2010年11月17日掲載
- ^ 2010ドラフト指名6選手 入団発表会! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2010年12月9日配信
- ^ 「2010年 新人選手選択会議」交渉権獲得選手のお知らせ 北海道日本ハムファイターズ 公式サイト 2010年10月28日配信
- ^ 2012年度西武ライオンズ選手名鑑 00 林崎 遼 スポニチ Sponichi Annex
- ^ 2011年7月19日 福岡ソフトバンク 対 埼玉西武 成績詳細 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
- ^ 2011年7月20日 福岡ソフトバンク 対 埼玉西武 成績詳細 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
- ^ 2012年度 埼玉西武ライオンズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2012年度 埼玉西武ライオンズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2012年度 埼玉西武ライオンズ 個人守備成績(イースタン・リーグ) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2013年 背番号のお知らせ 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2012年11月22日配信
- ^ 【西武】林崎初安打「気持ちよかった」 日刊スポーツ 2013年6月22日掲載
- ^ 2013年6月21日 埼玉西武 対 オリックス 成績詳細 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
- ^ 林崎 3年目でプロ初打点「いいところで貢献できた」 スポニチ Sponichi Annex 2013年7月4日掲載
- ^ 2013年7月4日 オリックス 対 埼玉西武 成績詳細 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
- ^ 林崎遼選手 入籍のお知らせ埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2013年12月24日配信
- ^ 西武林崎が今季一軍初スタメンも負傷交代日刊スポーツ 2014年4月17日配信
- ^ 西武 林崎 左肩脱臼 2日で抹消へ スポニチ Sponichi Annex 2014年4月17日掲載
- ^ 西武 契約更改がスタート 山川 二軍本塁打王も現状維持 スポニチ Sponichi Annex 2014年11月11日掲載
- ^ 埼玉西武ライオンズ選手来季契約について 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2014年10月29日配信
- ^ 育成選手契約について 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2014年11月11日配信
- ^ 林崎遼選手 支配下登録のお知らせ 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2015年5月29日配信
- ^ 支配下選手登録 (2015年度シーズン途中・2月以降) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2015年度 埼玉西武ライオンズ 個人打撃成績(イースタン・リーグ) 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 埼玉西武ライオンズ選手来季契約について 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2015年10月2日配信
- ^ 合同トライアウト詳細 日刊スポーツ 2015年11月10日配信
- ^ a b c d e “マー君が唯一被弾…東洋大姫路・林崎の捨て身の作戦”. 日刊スポーツ. (2020年6月4日) 2020年9月17日閲覧。
- ^ 【プロ野球選手第2の人生】西武・梅田、G・G・佐藤氏の父経営の測量会社に スポーツ報知 2015年12月30日配信
- ^ “目指せ甲子園!!”. TRAVERS(トラバース)野球部のブログ (2020年8月29日). 2020年9月17日閲覧。
- ^ “市民大会A級決勝 VS東京ベイ信用金庫”. TRAVERS(トラバース)野球部のブログ (2019年11月18日). 2020年9月17日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 林﨑遼 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube