林暁宇
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林 暁宇(はやし ぎょうう、1923年4月17日[1] - 2007年4月29日)は、浄土真宗の僧侶。
北海道浦幌町生まれ。1938年更別村旭小学校高等科卒業。1940年肺結核で自宅療養。仏教誌『慈悲の国』により、病弱の念仏者・赤禰貞子を知る。1943年北海道庁十勝支庁に勤務。1949年暁烏敏に会い、明達寺に入り得度。1954年『暁烏敏全集』編集担当。1956年肺結核再発、左肺上葉切除。1963年結婚。1969年明達寺を出て放浪。1970年小豆島に住み、四軒長屋の片隅を借りて「具足舎」と名づける。1980年札幌市に移住。1998年石川県鳥越村のケアハウスに入る。2001年能美市鍋谷町に移る。2007年3月仏教伝道文化賞受賞。
著書
[編集]- 『三味線婆ちゃん 念仏内局の陰に』具足舎 1982 東本願寺出版部 1986
- 『弥陀にとられて丸裸 追想・三味線婆ちゃん』具足舎 1984
- 『野麦峠を越えて 飛騨おみな念仏の頌』具足舎 1988
- 『開けて悔しき玉手箱』具足舎 1989 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『もしよきひとにあわざれば 私の出遇った念仏者』真宗大谷派宗務所出版部 1990
- 『われらは生死を併有す』具足舎 1990 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『みんなおあめださまのおかげです 三味線婆ちゃんのことば』澤田悌二編 具足舎 1991
- 『人間死ねば仏になる 法事の話 林暁宇講演録』具足舎 1992
- 『むなしさをこえる』真宗大谷派宗務所出版部 1992 東本願寺伝道ブックス
- 『死の向うに大いなる光が見える』編 具足舎 1993 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『言葉だけの教えでは本当の仏法はわからない』具足舎 1995 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『腹が立つので喧嘩ができん 北の大地の念仏者前田政直』編 具足舎 1996 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『蓮如上人いまさずは』編 具足舎 1997 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『まことなるかなや 私にとっての清沢満之先生』編 具足舎 1998
- 『あるがままないがまま 放送三味線婆ちゃん』具足舎 1999
- 『生死を超える道』広大舎 2001
- 『念仏申さるべし』具足舎 2001 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『ほんとうにしたいことがあったらそれをやれ わが師暁烏敏の教え』具足舎 2002 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『暁烏先生と報恩講』具足舎 2003
- 『おたまじゃくしと人間』具足舎 2003 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『帰依処のあれば』具足舎 2004 人はなぜ教えにあわねばならないか
- 『真宗は時代を超えて 二〇〇四年度能登教区第六組同朋大会記念講演』具足舎 2004
- 『それで死んでも悔いなかろう 私の出遇った暁烏先生』北國新聞社出版局 2004 十方叢書
- 『妙なるいのちこのいのち 赤禰貞子さん 私はなぜ教えにあわねばならなかったか』具足舎 2004
- 『二つの出遇い』具足舎 2004
- 『降る雪さえもあったかい 私はなぜ教えにあわねばならなかったか』具足舎 2004
- 『略伝暁烏敏』編 具足舎 2004
- 『賜る願い限りなく 暁烏先生に愛された田舎の人びと』北國新聞社出版局 2005 十方叢書
- 『念仏者は罪業の報いを受けない 私はなぜ教えにあわねばならなかったか』具足舎 2006
- 『病・老・死の世を生かされて 私はなぜ教えにあわねばならなかったか』具足舎 2006
- 『桃太郎の念仏 私はなぜ教えにあわねばならなかったか』具足舎 2006
- 『坊主は乞食だぞ 願われて生きる』樹心社 2007
- 『いのちが求めるもの』念林舎 2008
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.517
参考
[編集]- 紀伊國屋書店ブックウェブ:[1]