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林直明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
林 直明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県
生年月日 (1924-05-22) 1924年5月22日
身長
体重
167 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1946年
初出場 1946年
最終出場 1954年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

林 直明(はやし なおあき、1924年5月22日 - 没年不明)は、愛知県出身の元プロ野球選手投手)。兄は同じくプロ野球選手の林安夫

来歴・人物

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愛知県の一宮中学(現:一宮高校)卒。1946年に中部日本の監督になった竹内愛一に誘われ同チームに入団[1]4月29日の対セネタース戦では先発するも先頭打者から5者連続与四球の日本プロ野球新記録と1イニング6与四球のタイ記録。相手のセネタースの先発一言多十も13与四球という試合だったが、中部日本が4併殺と拙攻続きで、6対1で敗れている[2]。その後は石本秀一に従い[1]、1947年国民リーグに参加。結城ブレーブスで夏季リーグでは最多勝の12勝、秋季リーグ8勝。

1948年、監督に就任した石本とともに金星スターズ[1]、さらにシーズン途中に大陽ロビンスへ移籍。1948年は、年間通算12勝を記録。

その後大洋ホエールズ球団設立と同時に参加。

1950年6月7日の広島戦では、2-8の4回から登板すると7回二死後、サードの宮崎剛がライナーを落球したあとで3本塁打を含む8安打1四球で10失点の大乱調を見せ、1イニングにおける最多失点(当時、ただし自責点は0)と、一試合の最多失点(6回14失点)のセ・リーグ記録を達成する[3]

1951年には球団最多の16勝をマークするも、1952年8月24日国鉄戦を最後に勝てなくなり、今度は当時の日本記録となる18連敗を記録。1954年8月15日広島戦で勝利し、ようやく連敗を止めた[注 1]。しかし1954年はその1勝にとどまり、この年を最後に引退した。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1946 中部日本 2 2 0 0 0 0 1 -- -- .000 24 3.0 6 1 10 -- 0 0 0 0 11 8 24.00 5.33
1948 金星 15 9 7 4 2 9 1 -- -- .900 403 102.2 77 4 26 -- 0 33 0 0 27 24 2.10 1.00
大陽 22 8 3 1 0 3 4 -- -- .429 472 104.2 129 10 41 -- 0 28 1 0 62 45 3.86 1.62
'48計 37 17 10 5 2 12 5 -- -- .706 875 207.1 206 14 67 -- 0 61 1 0 89 69 2.99 1.32
1949 2 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 31 6.1 10 0 4 -- 0 0 0 0 5 4 5.14 2.21
1950 大洋
洋松
43 23 9 1 5 11 12 -- -- .478 1005 231.2 260 22 69 -- 1 78 0 0 136 97 3.76 1.42
1951 36 25 17 3 6 16 11 -- -- .593 936 227.1 227 10 36 -- 0 35 0 0 96 76 3.00 1.16
1952 34 17 6 1 0 11 10 -- -- .524 699 170.2 159 9 37 -- 3 33 1 0 68 48 2.53 1.15
1953 9 8 0 0 0 0 8 -- -- .000 167 33.2 57 4 13 -- 0 11 1 0 37 29 7.68 2.08
1954 19 13 4 0 0 1 10 -- -- .091 386 91.2 104 3 18 -- 0 31 0 0 49 36 3.52 1.33
通算:8年 182 106 46 10 13 51 58 -- -- .468 4123 971.2 1029 63 254 -- 4 249 3 0 491 367 3.40 1.32
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 大洋(大洋ホエールズ)は、1953年に洋松(大洋松竹ロビンス)に球団名を変更

記録

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  • イニング最多連続与四球:5(日本記録) 1946年4月29日
  • 同一年に2球団で勝利:1948年 ※史上3人目
  • ゲーム最多失点:14(セ・リーグ記録) 1950年6月7日

背番号

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  • 13 (1946年)
  • 12 (1947年)
  • 16 (1948年 - 1949年)
  • 19 (1950年 - 1953年)
  • 8 (1954年)

脚注

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  1. ^ a b c 大井廣介『1949年版 日本野球の全貌』有樂出版社、1949年、34,91頁。 
  2. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」637ページ
  3. ^ 大量失点なのにまさかの「自責ゼロ」…?驚きの“無責任投手”エピソード | BASEBALL KING”. BASEBALL KING (2022年2月2日). 2023年8月19日閲覧。

注釈

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  1. ^ 連敗記録については、洋松ロビンス権藤正利1956年に林の18連敗記録記録を更新。権藤は1957年に28連敗まで記録を伸ばしてようやく勝利している。

関連項目

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外部リンク

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