林通安
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林 通安(はやし みちやす)
林通安 (八郎左衛門)
[編集]林 通安(はやし みちやす、? - 天文22年(1553年)[1])は戦国時代の武将。通称は八郎左衛門。(諱とされる「通安」は子の秀貞が通勝と誤り伝えられてきた影響が見られ、疑わしい。)[要出典]
父は林通村(佐渡守)。林氏は伊予河野氏・美濃稲葉氏の一族と伝わり、通村の代に林姓を名乗った。
尾張守護代織田氏の一族、織田弾正忠家の織田信定・信秀に仕えた。『言継卿記』の天文年間の記録によれば、言継が尾張を訪れた時期に、通安(八郎左衛門)の代理として秀貞(新五郎)が出席していたとある。大永年間に『妙興寺文書』に登場する林勝次(九郎)や、天文年間中期に『浅井文書』に登場する、林勝隆(九郎)との関係は不明。
林通安 (新右衛門)
[編集]林 通安(はやし みちやす)は戦国時代の武将。通称は新右衛門。法名は常照。
妻は森氏の娘であったとされ、娘のえい(後の妙向尼)は森可成に嫁ぎ、長可・森成利(蘭丸)らの母となった。
斎藤氏に仕えていたが、のちに婿の可成を頼り、その家臣となった。子に林為忠(長兵衛)がいる。
脚注
[編集]- ^ 『尾張群書系図部集』第1巻