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林雑物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

林 雑物(はやし の さいもち、生没年不詳)は、奈良時代後期の官人。名は佐比物とも記される[1][2][3]のち宿禰官位従五位下主計助

経歴

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聖武朝天平11年(739年従八位下伊豆目官位にあった(伊豆正税帳の継目裏書)[1][4]

孝謙朝天平勝宝5年(753年)日本博士・中臣丸張弓と一緒に正月十五日祭の勘奏を進めている(この時の位階は正七位上[5]。天平勝宝7歳(755年)正月の九月九日祭についても、張弓らとともに勘奏を進めている[6]。天平勝宝8歳(756年東大寺の田地を点定した(この時の官位は正六位下因幡掾[7][3]

称徳朝の天平神護3年(767年)正月に従五位下叙爵し、同年7月に上野介に任官する。神護景雲3年(769年)兄弟の林広山らとともに連から宿禰改姓した[2]

光仁朝宝亀2年(771年主計助に任ぜられている。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ a b 『寧楽遺文』上巻233頁
  2. ^ a b 『続日本紀』巻第二十九、称徳天皇 神護景雲3年2月26日条
  3. ^ a b 『平安遺文』巻1 - 65頁
  4. ^ 『大日本古文書』巻二 - 192頁
  5. ^ 『年中行事抄』正月15日所引「旧記」
  6. ^ 『東大寺要略』巻24所引月「旧記」
  7. ^ 『東南院文書』巻2-291頁

参考文献

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