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柳家小ゑん (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
望月もちづき 長兵衛ちょうべえ・初代 柳家やなぎや ゑん
望月(もちづき) 長兵衛(ちょうべえ)・初代 柳家(やなぎや) 小(こ)ゑん
柳家の定紋「丸に花菱」
本名 上田
→山田
→市川
→山本 権次郎
別名 望月長兵衛
むず権
生年月日 1861年5月17日
没年月日 (1915-11-26) 1915年11月26日(54歳没)
師匠 初代談洲楼燕枝
三代目柳家小さん
初代三遊亭圓右
三代目柳家小さん
名跡 1.柳亭小燕
(1871年 - ?)
2.三代目柳亭小燕枝
(? - 1877年)
3.柳亭錦枝
(1877年 - ?)
4.柳家さん枝
(不詳)
5.柳家枝之助
(不詳)
6.三遊亭右鶴
(? - 1896年)
7.柳家小ゑん
(1896年 - ?)
8.望月長兵衛
(? - 1915年)
活動期間 1871年 - 1915年

初代 柳家 小ゑん(やなぎや こえん、1861年5月17日文久元年4月8日) - 1915年大正4年)11月26日)は、明治時代に活動した落語家渾名あだなは体をむずむずさせて落語を演じた事から「むず権」。

来歴 

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建具職上田八五郎の子として生まれる。10歳で初代談洲楼燕枝の門下に入り、小燕から小燕枝を名乗る。1877年(明治10年)頃に柳亭錦枝となる。

明治10年代後半(1880年代前半から中盤)に3代目柳家小さんの門下で柳家さん枝から同20年代後半に枝之助となる。

明治20年代末(1890年代中盤)に三遊派にて初代三遊亭圓右の門下で三遊亭右鶴を名乗る。1896年(明治29年)に再び3代目柳家小さんの門下で小ゑんとなった。

大正に入り歌舞伎囃子方に転向し、望月長兵衛と名乗ったという。

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN 458212612X
  • 『古今東西噺家紳士録』

関連項目

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