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柳徳天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柳 徳天(リュ・ドクチョン、朝鮮語: 류덕천/柳德天1905年 - 1973年10月14日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国官僚政治家。第5代晋陽郡守[1]、第2代韓国国会議員[2]。名前はユ・ドクチョン(漢字同、유덕천)とも表記される[3]

経歴

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慶尚南道晋州郡(現・晋州市)出身。協成中学校卒。第2代総選挙当選時は農業に携わっていた[4]。1947年8月19日から1948年4月13日までは第5代晋陽郡守を務めた[1]。また、官僚としても務めたほか[5]、1950年の第2代総選挙に晋州市選挙区から無所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた[2]。1973年に持病により始興郡南面山本里の自宅にて死去した。享年69[6]

評価

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真面目で、物事の是非について適切かつ明敏な判断が下せる政治家であった[3]

脚注

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  1. ^ a b 진양군 | 열린시장실”. www.jinju.go.kr. 2023年10月3日閲覧。
  2. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年10月2日閲覧。
  3. ^ a b 자료일람 | 한국사데이터베이스”. 韓国史データベース. 2023年10月3日閲覧。
  4. ^ 柳德天(류덕천)47無(무),新(신)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1960年6月20日). 2023年10月1日閲覧。
  5. ^ 자료일람 | 한국사데이터베이스”. 韓国史データベース. 2023年10月3日閲覧。
  6. ^ 2代議員柳德天(대의원류덕천)씨”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1973年10月21日). 2023年10月3日閲覧。