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柳沢信安

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
柳沢信安
時代 江戸時代前期
生誕 元和5年(1619年
死没 寛文10年5月3日1670年6月20日
別名 長九郎(通称
戒名 昌節
墓所 東京都新宿区市谷河田町正覚山月桂寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家綱綱吉
氏族 柳沢氏
父母 柳沢安吉窪嶋孫兵衛
兄弟 信安吉次安冶信花
太田吉宗
時憲匂坂六郎五郎
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柳沢 信安(やなぎさわ のぶやす)は、江戸時代前期の旗本通称は長九郎。柳沢安吉の長男。母は窪嶋孫兵衛の娘。

家督相続前の寛文10年(1670年)に父に先立ち死去したため、貞享2年(1685年)に子の時憲が安吉の家督を継いだ。

年表

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※日付は旧暦

  • 正保3年(1646年)3月20日 - 徳川家綱付きとなり、同年8月24日三丸の番を勤める
  • 慶安3年(1650年)9月4日 - 大番となり、蔵米200俵を賜る
  • 寛文7年(1667年)2月18日 - 新番に転任
  • 寛文8年(1668年)12月25日 - 50俵を加増される(都合250俵)
  • 寛文10年(1670年)5月3日 - 死去。享年52。月桂寺に葬られる。法名は昌節

系譜

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参考文献

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