柳沢信安
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和5年(1619年) |
死没 | 寛文10年5月3日(1670年6月20日) |
別名 | 長九郎(通称) |
戒名 | 昌節 |
墓所 | 東京都新宿区市谷河田町の正覚山月桂寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
氏族 | 柳沢氏 |
父母 | 柳沢安吉、窪嶋孫兵衛娘 |
兄弟 | 信安、吉次、安冶、信花ら |
妻 | 太田吉宗娘 |
子 | 時憲、匂坂六郎五郎室 |
柳沢 信安(やなぎさわ のぶやす)は、江戸時代前期の旗本。通称は長九郎。柳沢安吉の長男。母は窪嶋孫兵衛の娘。
家督相続前の寛文10年(1670年)に父に先立ち死去したため、貞享2年(1685年)に子の時憲が安吉の家督を継いだ。
年表
[編集]※日付は旧暦
- 正保3年(1646年)3月20日 - 徳川家綱付きとなり、同年8月24日三丸の番を勤める
- 慶安3年(1650年)9月4日 - 大番となり、蔵米200俵を賜る
- 寛文7年(1667年)2月18日 - 新番に転任
- 寛文8年(1668年)12月25日 - 50俵を加増される(都合250俵)
- 寛文10年(1670年)5月3日 - 死去。享年52。月桂寺に葬られる。法名は昌節