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柴田榮吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柴田栄吉から転送)

柴田 榮吉(しばた えいきち、1856年7月16日安政3年6月15日[1]〉- 1950年昭和25年[2]〉)は、明治から昭和時代の政治家(6代・10代八王子町長、初代八王子市、ほか)、実業家。柴田家に入婿して以降は生涯にわたって八王子を拠点とした。

略歴

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武蔵国多摩郡芋窪村(旧・東京府北多摩郡大和村芋窪、現・東京都東大和市芋窪)で、農業・竹松善右衛門の四男として生を受ける[1]1875年明治8年)八王子南新[3][注釈 1]で笠屋を営む柴田家に入婿した[3]

1894年(明治27年)7月、八王子繭糸取引所常務理事に就任[3]1896年(明治29年)八王子撚糸製造組合を創設し頭取となり、1898年(明治31年)撚糸製造業組合を創設[3]

1901年(明治34年)第4代八王子町長・関谷源兵衛[注釈 2](在任期間:1901年3月7日-1902年3月5日)によって八王子町助役に任命される[4]八王子大火1897年4月22日発生[4])や、東京府第二中学校誘致問題などに端を発する混乱のなか、立て直しを図ることを期待されての就任であった[5]

1903年(明治36年)7月14日、第6代八王子町長に就任[4]1904年(明治37年)八王子撚糸製造組合頭取を辞任し顧問となる[3]1905年(明治38年)1月9日、八王子町長を辞任[4]1911年(明治44年)八王子瓦斯を創設し[6]1914年大正3年) 八王子撚糸同業組合顧問に就任[3]

1916年(大正5年)11月3日、第10代八王子町長に就任[4]1917年(大正6年)3月31日、八王子町の最終日を迎え、町長を退任[4]。同年9月1日、八王子町が市制を施行して八王子市が発足し[4]、柴田は市長代理に任命され[4]、同年12月14日、初代八王子市長に就任[4]1921年(大正10年)12月13日、八王子市長として1期を任期満了し退任した[4][注釈 3]。在任中の実績としては、塵芥清掃の市営化、市営火葬場・市営墓地の設置などを行った[7]

1924年(大正13年)5月10日第15回衆議院議員総選挙(東京府第12区)に政友会から立候補するも落選[2]1950年(昭和25年)に死去した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 「八王子南新町」の誤記か。
  2. ^ 第7・第8・第9代八王子市長を務めた関谷源兵衛は孫にあたる。
  3. ^ 出典資料では退任日を「大正10年12月23日」としているが、就任日から換算して任期満了日は「大正10年12月13日」であり、誤記と判断する。

出典

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  1. ^ a b 『八王子市政八十年史』44頁。
  2. ^ a b 『八王子市政八十年史』56頁。
  3. ^ a b c d e f 『八王子市政八十年史』45頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j 総務部統計調査課 (2016年10月9日). “八王子の歩み - 統計八王子(平成28年版)- 市政情報” (PDF). 公式ウェブサイト. 八王子. 2018年3月12日閲覧。
  5. ^ 『八王子市政八十年史』47-48頁。
  6. ^ 『八王子市政八十年史』46頁。
  7. ^ 『八王子市政八十年史』55頁。

参考文献

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  • 波多野重雄編著『八王子市政八十年史:歴代市長の足跡』ふこく出版、1996年。


先代
平林定兵衛
八王子町長
第6代:1903年 - 1905年
次代
平林定兵衛
先代
平林定兵衛
八王子町長
第10代:1916年 - 1917年
次代
廃止