柴田駒三郎
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柴田 駒三郎(しばた こまさぶろう、明治3年11月18日[1](1871年1月8日) - 1945年(昭和20年)4月11日[2])は、日本の内務官僚、文部官僚。錦鶏間祗候。
経歴
[編集]奈良県出身。1896年(明治29年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、内務属となった[1]。同年、高等文官試験に合格し、群馬県参事官、枢密院書記官、行政裁判所評定官、土木局書記官・内務省参事官、文部省宗教局長を歴任した[1]。その後、維新史料編纂事務局長、維新史料編纂会委員を務め、1942年(昭和17年)に退官した[3]。
1932年(昭和7年)9月27日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[4]。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 勲章等
親族
[編集]- 永山盛輝 - 妻の父。男爵。貴族院議員。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
公職 | ||
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先代 黒沢次久 |
維新史料編纂事務局長 1921年 - 1924年 |
次代 松浦鎮次郎 |