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栃木県立大田原東高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栃木県立大田原東高等学校
正門の写真。中央の校舎にある校章は同敷地内の大田原女子高のもの。右の門柱に2校の校名板が並べられている(上が大田原女子高、下が大田原東高)。
地図北緯36度51分43.9秒 東経140度1分58.8秒 / 北緯36.862194度 東経140.033000度 / 36.862194; 140.033000座標: 北緯36度51分43.9秒 東経140度1分58.8秒 / 北緯36.862194度 東経140.033000度 / 36.862194; 140.033000
過去の名称 栃木県立大田原女子高等学校定時制
国公私立の別 公立学校
設置者 栃木県の旗 栃木県
校訓 学びつつ 品位を高め ともに働く
設立年月日 1966年4月1日
創立記念日 4月26日
共学・別学 男女共学
課程 定時制課程
設置学科 普通科
学校コード D109210000515 ウィキデータを編集
高校コード 09148A
所在地 324-0053
栃木県大田原市元町1-5-43
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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栃木県立大田原東高等学校の位置(栃木県内)
栃木県立大田原東高等学校

栃木県立大田原東高等学校(とちぎけんりつおおたわらひがしこうとうがっこう)は栃木県大田原市元町一丁目にある高等学校

特色

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同校の略称は「大東高(だいとうこう)」。栃木県立大田原女子高等学校と校地・校訓[1]を共有する、栃木県で唯一の定時制単立の高等学校である[2][3]。当初は「大田原女子高等学校定時制課程」として発足したが、「共学校にもかかわらず、男子生徒が『大田原女子高卒』となる」ことへの反発から、校名問題が起こった。この問題は、全日制課程やその同窓会、さらには地域を巻き込んだ大きな問題となり、マスコミにも報道がされた。最終的には大女高側(特に同窓会[4])が改名[5]に強く反対したため、定時制課程を「大田原東高校」として独立させることで事態の収拾を図った[6]。このような経緯から、校門には二校の名称が記され、学校長は二校を兼任する[7]形となっている。また、高校コードも両校に別のものが当てられている。

教育目標

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  • 心身が健全にして知性が高く、しかも情操豊かで自主性のある人間を育成する。

所在地

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沿革

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  • 1966年 - 栃木県立大田原女子高等学校定時制として発足
  • 1967年 - 1月、校章制定、2月、校歌制定
  • 1971年 - 栃木県立大田原東高等学校として独立
  • 2016年 - 創立50周年記念式典挙行

脚注

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  1. ^ 校訓は同校、および前身の大田原女子高定時制の設立以前である1949年に制定されている。(つまり、元々は大田原女子高の校訓として制定された)
  2. ^ 栃木県立学悠館高等学校には通信制課程があるため。また、形式上1974年から休校のまま存続していた宇都宮育英高等学校2005年に正式に閉校となったため。
  3. ^ このことから、地元大田原市のご当地キャラ「与一くん」に、卒業を祝ってもらえないという珍事が起こった(定時制高校を卒業するのは通常4年生のため)
  4. ^ 大女高同窓会は、大田原高校との統合にも強く反対した。
  5. ^ 提示されていた新校名は「大田原東高校」であった。なお2011年から共学となった佐野女子高校は佐野東高校に改名している。
  6. ^ そのため現在でも、入学式・卒業式を含め一切の学校行事は合同開催されず、生徒同士の交流(部活動や生徒会など)も原則として行われていない。また、同窓会・PTAに至るまですべて別組織となっている。
  7. ^ 通常の全定併置校は一つの学校であるが、同校と大田原女子高は「別の学校」であるため

出典

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『大東高20周年記念誌』栃木県立図書館所蔵

関連項目

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