栃木県立大田原女子高等学校
表示
栃木県立大田原女子高等学校 | |
---|---|
北緯36度51分44.6秒 東経140度1分57.3秒 / 北緯36.862389度 東経140.032583度座標: 北緯36度51分44.6秒 東経140度1分57.3秒 / 北緯36.862389度 東経140.032583度 | |
過去の名称 |
私立大田原女学校 大田原町立実科高等女学校 郡立那須実科高等女学校 栃木県立大田原高等女学校 大田原女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 栃木県 |
学区 | 那須学区 |
校訓 | 学びつ々品位を高めともに働く |
設立年月日 | 1911年(明治44年)4月26日 |
共学・別学 |
男女別学 (女子校) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D109210000472 |
高校コード | 09147C |
所在地 | 〒324-0053 |
栃木県大田原市元町1-5-43 | |
外部リンク | 大田原女子高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
栃木県立大田原女子高等学校(とちぎけんりつおおたわらじょしこうとうがっこう, Tochigi Prefectural Otawara High School for Girls)は栃木県大田原市元町一丁目にある高等学校。略称は「大女高(だいじょこう)」。
定時制の栃木県立大田原東高等学校と校地・校訓を共有している。
概要
[編集]- 歴史
- 1911年(明治44年)に開校した「大田原実科高等女学校」を前身とする。数回の改称を経て、1948年(昭和23年)の学制改革で新制高等学校となり、1951年(昭和26年)に現校名となる。2011年(平成23年)に創立100周年を迎えた。かつては家政科や衛生看護科を有していたが、現在は普通科のみである。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 普通科
- 通学者
- 大田原市内を中心に、那須塩原市・矢板市・那須郡那須町・那珂川町・塩谷町・さくら市喜連川地区などからの通学者が多い。
- 校訓
- 「学びつつ々品位を高めともに働く」- 1949年(昭和24年)に制定。
- 教育目標
- 情操豊かで、知性の高い、健康な現代女性を育成する。
- 校章
- 1948年(昭和23年)に制定。鏡(八稜鏡[1])と撫子の花弁を組み合わせたものを背景に、赤色の「大女高」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 高等女学校時代の1929年(昭和4年)に制定された校歌を継承している。
- 同窓会
- 「千草会」と称している。
沿革
[編集](前史)女学校時代
- 1908年(明治41年)12月26日 - 栃木県知事により設立が認可される。
- 1909年(明治42年)4月10日 - 「私立大田原女学校」が大田原町168番地に開校。
- 本科・専修科・速成科を設置。修業年限をそれぞれ3年・2年・8ヶ月とする。 定員を計100名とする。
- 1910年(明治43年)4月8日 - 予備科を設置し、修業年限を1年とする。
高等女学校時代
- 1911年(明治44年)4月26日 - 高等女学校令の改正により、町立移管の上「町立大田原実科高等女学校」と改称。
- 予備科・専修科・速成科を廃止。この日を創立記念日に制定。
- 1912年
- 1913年(大正2年)4月5日 - 大田原町820に移転。
- 1919年(大正8年)11月1日 - 「栃木県那須実科高等女学校」と改称。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 定員を400名に増員。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 県立移管の上、「栃木県大田原高等女学校」と改称。現在地に移転。旧校地を宿舎及び農場用地とする。
- 1929年(昭和4年)3月31日 - 校歌を制定。
- 1936年(昭和11年)6月 - 校旗を制定。
- 1940年(昭和15年)12月28日 - 黒磯市下厚崎東林国有林内に学校林を設置。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 定員を600名に増員。
- 1945年(昭和20年)4月1日 - 定員を800名に増員。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限を5年に延長。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 高等女学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設(名称・栃木県大田原高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)し、高等女学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置で暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者は、そのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となった(4年で卒業することもできた)。
新制高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 高等女学校が廃止され、新制高等学校「大田原女子高等学校」が発足。普通課程(後の普通科)を設置し、修業年限を3年、定員を600名とする。
- 高等女学校卒業生(希望者)を新制高校3年、高等女学校4年修了者を新制高校2年として編入。
- 併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
- 併設中学校は継承され(名称・大田原女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみのとなる。
- 校章を制定。
- 1949年(昭和24年)
- 3月 - 校訓「学びつ々品位を高めともに働く」を制定。
- 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。併設中学校の卒業生は新制高校1年生となる。
- 4月 - 家庭課程を設置。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 「栃木県立大田原女子高等学校」(現校名)と改称。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 普通課程を1学級増設し、定員を750名とする。
- 1956年(昭和31年)3月31日 - 体育館兼講堂が完成。
- 1961年(昭和36年)
- 2月14日 - 旧寄宿舎、校舎を解体し、合宿所1棟 公舎5棟を移築。
- 4月1日 - 家庭課程を1学級増設(1学年2学級体制となる)。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 普通科1学級を増設。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 普通科を15学級、家政科を6学級、定員を1,050 名(3学年合計)とする。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 全日制課程衛生看護科を1学級設置。定時制課程(夜間)普通科を1学級設置。定員合計を1,130名とする。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 定時制課程(夜間)普通科が栃木県立大田原東高等学校として独立。
- 1973年(昭和48年)8月18日 - プールが完成。
- 1976年(昭和51年)7月15日 - 新体育館が完成。
- 1977年(昭和52年)
- 1981年(昭和56年)11月7日 - ブロンズ像「乙女の像」を除幕。
- 1982年(昭和57年)2月27日 - 特別教室が完成。
- 1986年(昭和61年)
- 3月20日 - 第4校舎が完成。
- 4月1日 - 普通科を1学級増設。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 普通科を18学級、家庭科を6学級、衛生看護科を3学級、計27学級、定員を計1,200名とする。
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)10月28日 - レリーフ「天空の乙女」を除幕。
- 1993年(平成5年)7月1日 - 部室が完成。
- 1994年(平成6年)
- 1996年(平成8年)4月1日 - 第1学年定員を360名とする。内訳は普通科7学級(280名)、家政科1学級(40名)、衛生看護科1学級(40名)
- 1997年(平成9年)4月1日 - 家政科の生徒募集が停止され、この時の入学生より普通科8学級(320名)、衛生看護科1学級(40名)となる。
- 1998年(平成10年)4月1日 - 普通科を1学級減じ、1学年の定員を320名とする。普通科7学級(280名)、衛生看護科1学級(40名)
- 1999年(平成11年)
- 2001年(平成13年)11月8日 - 創立90周年を記念し、中庭を整備し、五則池を改修。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)4月16日 - 高大連携調印式を挙行。
- 2004年(平成16年)3月31日 - 衛生看護科を廃止。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 普通科を1学級減じ、普通科6学級(242名)となる。2学期制を採用。
- 2007年(平成19年)7月1日 - 空調を設置。
- 2009年(平成21年)
- 2011年(平成23年)
- 2016年 - 第一回なでしこ合唱コンクールの開催
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 瑞花双鳳八稜鏡(ずいかそうほうはちりょうきょう) - 文化庁文化遺産ウェブサイト