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黒磯市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くろいそし
黒磯市
旧青木家那須別邸
黒磯市旗 黒磯市章
黒磯市旗 黒磯市章
廃止日 2005年1月1日
廃止理由 新設合併
黒磯市西那須野町塩原町那須塩原市
現在の自治体 那須塩原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
市町村コード 09212-6
面積 343.12km2
総人口 60,787
推計人口、2004年12月1日)
隣接自治体 大田原市西那須野町塩原町那須町黒羽町藤原町田島町下郷町西郷村
市の木 マツ
市の花 アジサイ
市の鳥 ウグイス
黒磯市役所
所在地 325-8501
栃木県黒磯市共墾社108番地2号
座標 北緯36度57分42秒 東経140度02分46秒 / 北緯36.96169度 東経140.04606度 / 36.96169; 140.04606座標: 北緯36度57分42秒 東経140度02分46秒 / 北緯36.96169度 東経140.04606度 / 36.96169; 140.04606
黒磯市の県内位置図
ウィキプロジェクト

黒磯市(くろいそし)は、かつて栃木県北部にあったである。旧那須郡2005年1月1日に那須郡西那須野町塩原町と新設合併し那須塩原市となったため廃止した。

地理

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隣接していた自治体

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歴史

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  • 1912年(明治45年)4月1日 那須郡東那須野村の一部が分立し、那須郡黒磯町が発足。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 那須郡黒磯町・鍋掛村・東那須野村・高林村が新設合併し、那須郡黒磯町が発足。
  • 1967年(昭和42年)9月 - 鍋掛に建設が予定されていた国立素粒子研究所への住民運動が激化。町役場で地質調査に反対する住民の座り込みなどが行われる[1]
  • 1970年(昭和45年)11月1日 - 市制施行、黒磯市となる。
  • 2002年(平成14年)1月1日 - 大田原市と境界変更。
  • 2004年(平成16年)12月31日 - 大田原市と境界変更。
  • 2005年(平成17年)1月1日 - 那須郡西那須野町塩原町と新設合併し、那須塩原市となる。
    • 合併後も、旧・黒磯市役所庁舎がそのまま那須塩原市役所本庁舎として引き続き利用されている。

人口

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人口推移

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  • 1980年(昭和55年) - 46,574人(国勢調査)
  • 1985年(昭和60年) - 49,742人(国勢調査)
  • 1986年(昭和61年) - 50,120人(推計)
  • 1987年(昭和62年) - 50,693人(推計)
  • 1988年(昭和63年) - 51,035人(推計)
  • 1989年(平成元年) - 51,569人(推計)
  • 1990年(平成2年) - 52,344人(国勢調査)
  • 1991年(平成3年) - 53,129人(推計)
  • 1992年(平成4年) - 54,153人(推計)
  • 1993年(平成5年) - 54,971人(推計)
  • 1994年(平成6年) - 55,533人(推計)
  • 1995年(平成7年) - 56,275人(国勢調査)
  • 1996年(平成8年) - 56,842人(推計)
  • 1997年(平成9年) - 57,379人(推計)
  • 1998年(平成10年) - 57,968人(推計)
  • 1999年(平成11年) - 58,594人(推計)
  • 2000年(平成12年) - 58,783人(国勢調査)
  • 2001年(平成13年) - 59,450人(推計)
  • 2002年(平成14年) - 59,911人(推計)
  • 2003年(平成15年) - 60,436人(推計)
  • 2004年(平成16年) - 60,794人(推計)

※人口は各年の10月1日現在

15歳以上就業者

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那須町への通勤率は12.5%であった(那須町から黒磯市への通勤率は15.0%)。

当地に常住する15歳以上就業者は31,798人。うち他市区町村で従業している者は10,252人と、全体の32.2%である。他市区町村への従業先1位は那須町の3,982人、2位は大田原市の1,848人、3位は西那須野町の1,708人、4位は宇都宮市の550人、5位は黒羽町の404人、6位は東京都特別区部の339人、7位は塩原町の325人、8位は矢板市の308人、9位は福島県白河市の107人、10位は氏家町の44人。

※平成12年国勢調査による

行政

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  • (旧)黒磯町長
氏名 就任 退任 備考
1 山口兵吉 1912年(明治45年)6月20日 1916年(大正5年)6月19日
2 1916年(大正5年)6月20日 1920年(大正9年)6月19日
3 1920年(大正9年)6月20日 1924年(大正13年)6月19日
4 1924年(大正13年)6月20日 1928年(昭和3年)1月3日 在任中死去[2]
5 菊地恒八郎 1928年(昭和3年)2月1日 1932年(昭和7年)1月31日
6 1932年(昭和7年)2月1日 1935年(昭和10年)9月8日
7 増淵万四郎 1935年(昭和10年)12月1日 1936年(昭和11年)5月20日
8 植竹虎太 1936年(昭和11年)7月3日 1940年(昭和15年)7月2日
9 1940年(昭和15年)7月3日 1944年(昭和19年)7月2日
10 1944年(昭和19年)7月3日 1946年(昭和21年)2月10日
11 七海熊吉 1946年(昭和21年)3月18日 1947年(昭和22年)3月3日
12 真島昶 1947年(昭和22年)4月5日 1951年(昭和26年)4月4日
13 1951年(昭和26年)4月5日 1954年(昭和29年)12月31日 (新)黒磯町の町長職務執行者に就任、町長選挙で落選[3]
  • (新)黒磯町長
氏名 就任 退任 備考
1 渡辺俶 1955年(昭和30年)2月18日 1963年(昭和38年)2月17日 (旧)黒磯町議会議長、医師[3][4]
2 藤田庄司 1963年(昭和38年)2月18日 1967年(昭和42年)2月17日 元町議会議長、元高林村長[5]
3 前田一郎 1967年(昭和42年)2月18日 1970年(昭和45年)10月31日 元助役、元鍋掛村長[6]
  • 黒磯市長
氏名 就任 退任 備考
1 前田一郎 1970年(昭和45年)11月1日 1975年(昭和年)2月17日
2 月江冨治郎 1975年(昭和50年)2月18日 1991年(平成3年)2月17日 元助役[6]
3 藤田政壽 1991年(平成3年)2月18日 2003年(平成15年)2月17日
4 栗川仁 2003年(平成15年)2月18日 2004年(平成16年)12月31日 初代那須塩原市長

出典:『栃木県町村合併誌 第三巻下』, p. 47、『黒磯市誌』, p. 251

姉妹都市

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交通

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鉄道

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道路

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名所・旧跡・観光

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出身有名人

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脚注

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  1. ^ 「農民が実力行使 素粒子研調査に反対」『朝日新聞』昭和42年9月20日、3版、11面
  2. ^ 『黒磯市誌』, p. 251
  3. ^ a b 『黒磯市誌』, p. 295-296
  4. ^ 『栃木県歴史人物事典』, p. 648
  5. ^ 『栃木県歴史人物事典』, p. 518
  6. ^ a b 『日本の歴代市長 第一巻』, p. 625

参考文献

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  • 『栃木県町村合併誌 第三巻下』 栃木県、1956年3月。
  • 『黒磯市誌』 黒磯市、1975年1月1日。
  • 『栃木県歴史人物事典』下野新聞社 、1995年7月27日。
  • 『日本の歴代市長 第一巻』歴代知事編纂会 、1983年11月25日。

関連項目

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