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栗山久次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栗山久次郎
くりやま きゅうじろう
自由が丘熊野神社境内にある「栗山久次郎翁」像
生年月日 1853年5月3日
出生地 日本の旗 日本 武蔵国
没年月日 (1934-01-19) 1934年1月19日(80歳没)
前職 農業
称号 勲七等青色桐葉章

荏原郡会議員
在任期間 1911年 - ?

碑衾村会議員
在任期間 1898年 - 1929年

碑衾村長
当選回数 5回
在任期間 1889年6月15日 - 1909年3月31日
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栗山 久次郎(くりやま きゅうじろう、1853年5月3日嘉永6年3月26日[1]〉 - 1934年昭和9年〉1月19日[2])は、日本篤農家[3]政治家東京府荏原郡碑衾村[4][5]地主[6][7]

人物

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武蔵国出身。栗山家の長男として誕生した[5]農業を営んだ[4][8][9]1887年(明治20年)5月20日に衾村戸長となった[10]町村制施行後、1889年明治22年)6月15日から1909年(明治42年)3月31日まで碑衾村長を5期務めた[11]。また、1898年(明治31年)には碑衾村会議員に当選して、1929年(昭和4年)まで務めた[12]1911年(明治44年)には荏原郡会議員に当選した[13]

自由が丘学園の創立者手塚岸衛の意見に共鳴して自分の土地を貸し、町名もそれまでの谷畑(やはた)から「自由が丘」に改名することを決断した[5]。住所は目黒区自由が丘[6]

自由が丘熊野神社に銅像が建てられている。

栄典

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脚注

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  1. ^ 栗山久次郎翁略伝 57コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 栗山久次郎翁略伝 65コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 『大日本篤農家名鑑』280頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月29日閲覧。
  4. ^ a b 『日本紳士録 第7版』東京、横浜、神奈川、横須賀等くの部430頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月30日閲覧。
  5. ^ a b c 熊野神社大祭9月6日にむけて 自由が丘誕生の祖・栗山久次郎翁 遺徳顕彰の碑設立準備すすむ、自由が丘新聞(昭和62年8月5日)。
  6. ^ a b 『日本紳士録 第38版』東京クの部293頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月29日閲覧。
  7. ^ 『日本紳士録 第34版』東京クの部283頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月30日閲覧。
  8. ^ 『日本紳士録 第36版』東京クの部284頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月29日閲覧。
  9. ^ 『日本紳士録 第32版』東京クの部286頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月30日閲覧。
  10. ^ 栗山久次郎翁略伝 58コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 目黒区大観 177コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  12. ^ 栗山久次郎翁略伝 59コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ a b 栗山久次郎翁略伝 61コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  14. ^ 栗山久次郎翁略伝 60コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 『日本紳士録 第7版』交詢社、1901年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第34版』交詢社、1930年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。
  • 衾西部耕地整理組合編(富岡丘蔵 執筆)、栗山久次郎翁略伝、1935年。

関連項目

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