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根岸誠一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
根岸 誠一
名前
カタカナ ネギシ セイイチ
ラテン文字 NEGISHI Seiichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-04-20) 1969年4月20日(55歳)
出身地 栃木県
身長 180cm[1]
体重 64kg[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
1982-1984 日本の旗 鹿沼市立粟野中学校[2]
1985-1987 日本の旗 宇都宮学園高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1991 日本の旗 本田技研 3 (0)
1991-1992 日本の旗 住友/鹿島アントラーズ 0 (0)
通算 3 (0)
代表歴
1989  日本フットサル
監督歴
日本の旗 宇都宮チェルトFC / FCアネーロ宇都宮
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

根岸 誠一(ねぎし せいいち、1969年4月20日 - )は、栃木県鹿沼市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は宇都宮チェルトFCおよびFCアネーロ宇都宮の代表を務める。

来歴

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高校時代

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宇都宮学園高等学校に入学し、1年時から公式戦に出場し、1985年度の高校選手権第64回大会)では同校初のベスト4進出[3]。続く1986年度の高校選手権(第65回大会)でもレギュラーとして出場し、前回大会で得点王となった1学年上の黒崎久志キャプテンの下でベスト8に進出[3]。大会優秀選手に選出され、日本高校選抜のヨーロッパ遠征メンバーに参加した[4]

選手時代

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高校卒業後の1988年、高校の先輩である黒崎の後を追う形で日本サッカーリーグ (JSL) 1部の本田技研工業サッカー部に加入。本田ではU-21日本代表[3]、本田の選手を中心に編成されたフットサル日本代表として1989 FIFAフットサル世界選手権に出場した[5]。一方、JSL1部での通算成績はリーグ戦3試合出場に留まった[6]

1991年、JSL2部の住友金属工業蹴球団に移籍[6]。1992年、プロ化により鹿島アントラーズへと移行後もチームに在籍し、本田時代の元監督・宮本征勝や元同僚の黒崎、本田泰人らと再びチームメイトとなった[7]。一方、怪我の影響により1993年のJリーグ開幕を前に退団した[3]

引退後

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引退後はサッカー指導者となり、郷里の栃木県で宇都宮チェルトFC・FCアネーロ宇都宮を創設[3]。2020年現在も同チームの監督を務めるほか、栃木県クラブユースサッカー連盟理事長などを務めている[3]。教え子には金子剛和久井秀俊などがいる[8]

エピソード

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  • 第65回全国高等学校サッカー選手権大会準々決勝の室蘭大谷高等学校戦は、0-0のスコアレスドローでPK戦に突入した[9]。両校それぞれ5人目の選手が全員成功し、サドンデスに入った後も14人目まで失敗なく進んだが、宇都宮学園15人目(通算29人目)のキッカーとして再び登場した根岸のキックは室蘭大谷のGK星野元彦に阻まれて失敗[9]。その後、室蘭大谷の15人目のキッカーが落ち着いて決めたため、宇都宮学園はPK15-14のスコアで敗れた[10]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1988-89 本田 JSL1部 0 0
1989-90 2 3 0 0 0
1990-91 0 0 0 0
1991-92 住金 29 JSL2部 0 0 0 0
1992 鹿島 - J - 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 JSL1部 3 0
日本 JSL2部 0 0 0 0
総通算 3 0

脚注

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  1. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』p29
  2. ^ 「昭和60年度第64回全国高等学校サッカー選手権大会 展望&ガイド」『サッカーダイジェスト』 1986年2月号別冊付録、日本スポーツ企画出版社、261頁。 
  3. ^ a b c d e f スタッフ紹介”. FCアネーロ宇都宮. 2020年11月28日閲覧。
  4. ^ 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー100年』講談社、2019年、269頁。ISBN 978-4-06-220356-2 
  5. ^ 「北澤豪は実はFリーグ界“幻のヒーロー”だった!?」”. Qoly.jp (2012年4月17日). 2020年11月28日閲覧。
  6. ^ a b 日本サッカーリーグ編『1991-1992 JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ、1991年、73・117頁頁。 
  7. ^ 「Jリーグ・カップ登録メンバーリスト」『サッカーマガジン』 1992年10月号、ベースボール・マガジン社、86頁。 
  8. ^ 【プロとして生きる道はJリーグだけか? 和久井秀俊 Vol.4】”. livedoorスポーツ (2012年2月3日). 2020年11月28日閲覧。
  9. ^ a b 【高校選手権コラム2】伝説のPK戦~帝京長岡対旭川実以前の記録”. サッカーマガジンWEB (2019年1月3日). 2020年11月28日閲覧。
  10. ^ もう一人の2年生GKが見た歴史的PK戦。“鬼門”で3年連続敗退の旭川実は雪辱へ”. ゲキサカ (2019年1月3日). 2020年11月28日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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