根本清蔵
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根本 清蔵 ねもと せいぞう | |
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生年月日 | 1911年-月-日 |
出生地 | 茨城県稲敷郡十余島村(現・稲敷市橋向) |
没年月日 | 2000年11月12日(89歳没) |
称号 | 勲三等瑞宝章 |
親族 | 孫・根本光治(稲敷市議会議員) |
在任期間 | 1971年1月8日 - 1972年7月 |
第5代 江戸崎町長 | |
在任期間 | 1979年12月23日 - 1987年12月22日 |
根本 清蔵(ねもと せいぞう、1911年(明治44年)- 2000年(平成12年)11月12日)は、日本の政治家。茨城県議会議員、茨城県議会副議長(第67代)[1]、江戸崎町長(第5代)、鹿島地域整備調査特別委員会委員長などを歴任した。
来歴
[編集]根本清蔵は当時、県の重要課題であった鹿島臨海工業地帯の開発において、その公害対策における県議会鹿島地域整備調査特別委員会の委員長を務めていた。1960年以降、茨城県では全国総合開発計画(全総)で謳われている拠点開発方式の実践として、鹿島港が工業整備特別地域に指定され国家プロジェクトによる巨大開発が行われたが、これは低迷に苦しんでいた県民所得の増大を目的に1960年(昭和35年)「鹿島灘沿岸地域総合開発の構想」を打ち出し、工場誘致を推進したことによるものである。そうした中、根本は茨城県議会鹿島調査特別委員会の委員長として、農工両全・公害・環境 整備・経済波及効果・推進体制の「5つの問題」を指摘した。また、県は「大気汚染緊急時対策要綱」を決定するとともに、県と厚生省合同で、鹿島臨海工業地帯の臭気・ガスの調査を行った。県議会鹿島地域整備調査特別委員長であった根本の公害質問に対し、岩上二郎知事は、「企業には強い姿勢で」と答弁した[2]。
脚注
[編集]- ^ =茨城県議会 “茨城県議会 歴代正副議長名鑑” 2018年11月27日閲覧。
- ^ = 石原, 道博, 茨城大学地域総合研究所年報(4): 1-19 p.8, 12 “鹿島開発の歴史的課題 : 地域史研究(4)” 2018年11月28日閲覧。
議会 | ||
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先代 山口武平 秋葉五郎兵衛 |
茨城県議会議長・副議長(1971年 - 1972年) 議長:下條正雄 副議長:根本清蔵 |
次代 関宗長 滝五郎 |