桂文治 (初代)
初代 | |
桂文治一門の定紋「結三柏」(むすびみつがしわ)。 | |
本名 | 伊丹屋 惣兵衛 |
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生年月日 | 1773年 |
没年月日 | 1815年12月29日 |
出身地 | 日本 |
師匠 | 初代松田彌助 |
活動期間 | 1794年 - 1815年 |
家族 | |
所属 | 桂派 |
主な作品 | |
『崇徳院』、『龍田川(千早振る)』ほか | |
初代 桂 文治(かつら ぶんじ、安永2年(1773年)(逆算)- 文化12年11月29日(1815年12月29日))は落語家。本名伊丹屋惣兵衛(宗兵衛とも)。息子は同じく落語家2代目桂文治[1]。江戸で「咄の会」が始まり大坂でも人気が伸びたころに現れ、落語を職業とする噺家の始めのひとりである[2]。
人物
[編集]出身については諸説あり、京都の人とも、柴島(現在の大阪市東淀川区)あるいは大和葛城生まれとも伝わる。『摂陽奇観』によれば[要文献特定詳細情報]、京都出身の噺家初代松田彌助の弟子であったという[3]。活動開始期間は寛政6年(1794年)ころからとされ、当時盛んであった素人による座敷での素噺(すばなし)[4][5]に対抗して、鳴物(なりもの)入り、道具入りの芝居噺を創作し、得意としていた。一方、素噺の方も「情深くして実(じつ)あり」と評され、名人であったことが窺える[要出典]。
もともと、玄人(くろうと=プロ)が演じる上方落語は、京都の露乃五郎兵衛[6]、遅れて大坂の米沢彦八[7][8]が大道や社寺の境内において簡素な小屋を掛けて演じていたが、初めて常打(じょううち)の寄席を開いて興行したのは文治で[10]、場所は坐摩神社(いかすりじんじゃ・ざまじんじゃ)境内とされる。上方落語中興の祖[11]であるとともに、寄席の開祖でもある。
現在でも演じられる『蛸芝居』、『昆布巻芝居』、『崇徳院』、『龍田川(千早振る)』、『口合小町』、『反故染』、『滑稽清水』は文治の作とも言われる[要出典]。他にも『尽くしもの』、『女夫喧嘩』と関する一連の噺が得意演目であったという。
多数の門人を擁していたが、特に桂文來、桂文東、桂磯勢(破門となり月亭生瀬と改名[16])、初代桂力造、初代桂文吾の5人が高弟であったという。他に桂北桂舎(「桂文景」から改名)と桂里壽らがおり[要出典]、2代目文治は実子の文吉が継いだ[1]。
1815年巡業先の四日市で死去、享年43(諸説あり[18])。法名釋空海。墓所は同地仏性院にある(泊山霊園仏性院区画)[17][19]。文治が没した三重県に桂文我が住み、2018年時点で初代の墓を守っている[17]。
息子が二代目文治を名乗り[1]、長女・幸は夫の壽遊亭扇松の没後に扇松の弟子で江戸芝金杉出身・扇勇の後妻に入る。江戸へ戻った扇勇は三代目文治を襲名し[1]、以降、東西で文治の名は分かれた[20]。
なお、本名である「惣兵衛」は、上方桂派の系譜で二代目桂ざこばの弟子(三代目桂米朝も孫弟子)である桂そうばが「二代目桂惣兵衛」を襲名し、死没から210年を経て名跡の形で復活する事となった[21]。
主な著作
[編集]文治が落語の道に入る少し前に江戸で落語の書籍化が流行し、大坂でも出版が盛んであった[22][23]。
主な著書に『おかしいはなし』(松田彌助と共著)、『桂の花』(桂文公と共著)、『臍の宿かえ』(1812年刊)などがある。
以下、題名の50音順。
- 『大寄噺の尻馬 小咄篇』(おおよせはなしのしりうま こばなしへん)[24]
- 松田彌助と共著『おかしいはなし』[要文献特定詳細情報]
- 桂文公と共著『桂の花』[27][28]
- 「飛だ高野」[29]
- 『太開好色合戦』[30]
- 『臍の宿かえ』、1812年刊[31][32]。文治の肖像入り、淺山蘆國(画)[33]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 前田 1966, pp. 59-, 「十一、二代目から五代目までの桂文治」.
- ^ 織田, p. 109-114, 小咄の発生とその展開 §書かれた笑い話.
- ^ 前田 1966, pp. 44-, 「七、二代続いた松田弥助、その他」.
- ^ 前田 1966, pp. 39-, 「六、素人ばなしの流行」.
- ^ 前田 1966, pp. 57-, 「十、素人ばなしの流行衰えず」.
- ^ 前田 1966, pp. 9-, 「一、上方落語の祖、露の五郎兵衛」.
- ^ 前田 1966, pp. 22-, 三、大阪落語の祖、米沢彦八」.
- ^ 前田 1966, pp. 30-, 「四、二代目から四代目までの米沢彦八」.
- ^ 相羽 1994, p. 13, (3)落語の歴史.
- ^ 「(前略)一方、五郎兵衛※の活躍を見聞し、大坂に米沢彦八が出現する。彼は生玉、天王寺、高津、新町などの人の多く集まる場所で「辻ばなし」を演じて、大坂落語の祖となった[9]。」(※編注=露乃五郎兵衛:つゆの ごろべえ)
- ^ 前田 1966, pp. 49-, 「九、上方落語中興の祖、桂文治」.
- ^ 荻田 2015, pp. 133, 「落語作家の祖」.
- ^ 蓬左文庫 1984, (リール59)「813 大寄噺の尻馬 残存二編(初・六編)」、「814 同 (四・五編)」.
- ^ 荻田 2015, pp. 134, 「『大寄噺の尻馬』」.
- ^ 荻田 2015, p. 149, 「狂言作者(歌舞伎の作者)月亭生瀬」.
- ^ 桂磯勢は文治門下を解かれると月亭生瀬の名で落語作家となり[12]、文治の噺を書き起こし[13][14]、狂言の戯作も手がけている[15]。
- ^ a b c 尾崎稔裕「落語会:初代・桂文治しのび 文我さん、11代目文治さん 最期の地・四日市で、命日の29日」『』毎日新聞、2018年11月20日。2021年9月4日閲覧。「初代文治没後202年記念 東西落語会」を開催。
- ^ 命日は新暦の1815年11月29日とされる[17]。
- ^ 「第16回文治まつり—三重テレビ開局50周年記念」(pdf)、三重テレビ。「桂を名乗る落語家の元祖初代・桂文治 四日市没後203年 〜文治を顕彰する落語会〜」2019年(令和元年)10月6日開催。
- ^ 相羽 1994, p. 13-14, (3)落語の歴史.
- ^ 桂ざこばの弟子ひろば&ちょうば&そうばが来年3月に同時襲名 歴史的名跡「力造」「米之助」「惣兵衛」 - Sponichi Annex 2024年4月30日
- ^ 織田, p. 109-114, §小咄の発生とその展開 §§書かれた笑い話.
- ^ 山口 1995, pp. 43–59.
- ^ 林美一(編)『大寄噺の尻馬 小咄篇』、横須賀:未刊江戸文学刊行会、1981年。複製。全国書誌番号:83052497。
- ^ 吉海 2007, pp. 118–107.
- ^ 時田昌瑞「主要カルタ・史料改題 §上方系」『岩波いろはカルタ辞典』岩波書店、2004年、p29-64頁。全国書誌番号:20715018ISBN 4-00-080302-6。
- ^ 宮尾 1997, pp. 17–36.
- ^ 長島 2008, pp. 14–23.
- ^ 加藤 1892, コマ番号0017.jp2.
- ^ 玩宮隠士 1998, 「『太開好色合戦』 桂文治 作」.
- ^ 桂文治(作)、浅山蘆国(画)『臍の宿かへ』5巻、塩屋長兵衛、文化9年(1812年)。マイクロ ; 5冊 (合1冊)。国立国会図書館書誌ID 000007315863。
- ^ 『文芸』 1902, pp. 199–207 初出の掲載誌名は『小柴舟』
- ^ 『国立国会図書館所蔵江戸咄本集 保存版』第1-3巻、東京:フジミ書房〈DVD復刻シリーズ〉、2011年。複写不可、全国書誌番号:22026585。複製、DVD3枚 ; 12cm。
参考文献
[編集]本文の典拠。主な執筆者名の50音順。
- 相羽 秋夫『「お笑い」の歴史』 1巻、日本笑い学会、1994年、13-14頁。doi:10.18991/warai.1.0_12。ISSN 2189-4132。 NAID 110002696593。
- 織田正吉、野村雅昭、笑福亭仁智、長島 平洋「検証シンポジウム : 小咄=ジョーク学(第23回研究会)」『笑い学研究』第7巻、2000年、105-129頁、doi:10.18991/warai.7.0_105、ISSN 2189-4132、2021年9月4日閲覧。 織田政吉は園田学園女子大学短期大学部教授、関西演芸作家協会会員。
- 加藤福治郎(編)「飛だ高野 桂文治」『都々逸物語 : 花柳内幕』加藤福治郎、東京、1892年(明治25年)。doi:10.11501/857253。コマ番号0017.jp2、国立国会図書館内/図書館送信。
- 玩宮隠士(編)「『太開好色合戦』桂文治 作」『好色噺の尻馬 : 大本大寄噺の尻馬抜粋』長谷川貞信1世ほか(画)、太平書屋、東京、1998年。全国書誌番号:98067031。複製および翻刻。「『太開好色後日合戦』立田土瓶 作」も収載。編者は玩究隠士とも。
- 原書は天保年間に尾張屋治三郎・本屋安兵衛らの共同出版により刊行。著者は他に浪花梅翁、龍呑軒、十返舎一九ほか。
- 『文芸』第1号、駸々堂(しんしんどう)、大阪、1902年6月、199-207頁、doi:10.11501/1492953、全国書誌番号:00021340。コマ番号0112.jp2、国立国会図書館内限定公開。掲載誌は『小柴舟』から改題。
- 長島 平洋「〈東京落語〉と〈上方落語〉のややこしい関係 付--初代桂文治の『落噺 桂の花』 (特集 落語を愉しむ)」『國文學 : 解釈と教材の研究』第53巻第8号(通号 768)、學燈社( 編)、2008年6月、14-23頁、ISSN 04523-016。
- 前田勇「上方落語史」『上方落語の歴史』(改訂増補版)杉本書店、大阪、1966年、7-(コマ番号0009.jp2-)頁。doi:10.11501/2516101。全国書誌番号:68002621。国立国会図書館内/図書館送信。
- 『尾崎久弥コレクション 蓬左文庫所蔵』(マイクロ ; マイクロリール)雄松堂フィルム出版、1984年-1985年。
- 荻田 清「7、落語作家・月亭生瀬-「月亭」の祖は誰か」『上方落語 : 流行唄の時代』和泉書院、大阪〈上方文庫別巻シリーズ ; 7〉、2015年。
- 「落語作家の祖」133頁。
- 「『大寄噺の尻馬』」134頁。
- 「狂言作者(歌舞伎の作者)月亭生瀬」149頁。
- 宮尾與男『芸能史研究』通号137号、1997年4月、17-36(136頁–)。掲載誌別題『藝能史研究』。山口佳代子が (塚田孝, 松迫寿代, 山口佳代子, 幡鎌一弘, 守屋正彦, 仁木宏, 村田路人, 熊谷光子, 渡辺恒一, 八木滋, 藤田加代子, 渡辺祥子, 町田哲「日本 : 近世十二(回顧と展望 一九九七年の歴史学界)」『史学雑誌』第107巻第5号、史学会、1998年、800-802頁、doi:10.24471/shigaku.107.5_800、ISSN 0018-2478、NAID 110002365072。 )p.151 にて言及。
- 山口 佳代子「近世大坂における出版業界の展開--大坂本屋仲間の視点から(大坂の都市空間と仲間〈特集〉)」『歴史評論』第547号、校倉書房、1995年11月、43-59頁、ISSN 0386-8907、NAID 40003834233。
- 吉海 直人(著)、同志社女子大学学術情報部(編)『同志社女子大学学術研究年報』第58号、同志社女子大学、2007年、118-107頁、doi:10.15020/00000401、ISSN 0418-0038、NAID 110006998280。
関連項目
[編集]関連資料
[編集]本文に使用していない資料。出版年順。
『摂陽奇観』
- 穂積 以貫、片島 武矩『風俗訓』、写本、書写者不明、書写年不明。NCID BA86569812。中村幸彦名で注書き、〔片島深渕子の事ハ攝陽奇観享保四年の条に見えたり。〕
- 『松竹梅天明八の木』、出版者不明、天明8年(1788年)。NCID BA8623533X。中村幸彦名で注書き、〔天明八年版『摂陽奇観』第39巻所収。〕
- 浜松 歌国『摂陽奇観』全57巻、秋浦:船越 政一郎、明治頃(1868年-1912年)。写本。NCID BB28002422。
- 改版、第1巻-第6巻、船越 政一郎(編)、浪速叢書刊行会〈浪速叢書〉、1926年-1929年。NCID BN07855476。
- 再版、第1巻-第6巻、名著出版〈浪速叢書〉、1977年。NCID BN08016123。
江戸・東京の桂文治一門
- 今村次郎(編)「二人茂兵衛・桂文治」『女幕のうち : 花柳暖語』東京:すみや書店、1907年(明治40年)、25-53頁。全国書誌番号:41008509、コマ番号0018.jp2-、doi:10.11501/885752、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。東京の文治の噺の例。
- 森暁紅「二三 桂文治」『芸壇三百人評』小林新造、1907年(明治40年)、18頁。コマ番号0024.jp2-、全国書誌番号:40075135、doi:10.11501/858237。芸風の評価。
- 大植四郎(編著)「桂文治」『明治過去帳 : 物故人名辞典 新訂』東京美術、1988年3刷、1203頁。全国書誌番号:89060313。初刷1971年。
- 中島 英雄「笑いのメカニズムについての一考察」『笑い学研究』第15巻、2008年、203-204頁、doi:10.18991/warai.15.0_203「病医寄席」(1988年–)を始めた初代桂前治こと中島医師は、1986年に10代目桂文治より高座名を授かる。
- ドキュメント人と業績大事典編集委員会 (編)「桂文治」『ドキュメント人と業績大事典』第6巻(おさ-かな)、東京 : ナダ出版センター、大空社(総発売)、2000年、209頁。全国書誌番号:20141125、ISBN 9784931522022、複製。別題、新聞に見る人物大事典『ドキュメント人と業績大事典』、『人と業績大事典 : ドキュメント』。