滑稽清水
滑稽清水(こっけいきよみず) は上方落語の演目名。別名「杢の市」「新壺坂」、東京では「按摩の信心」。
あらすじ
[編集]按摩の杢の市は、友人の徳さんからお前の女房のおとわが馬之助と間男しているでと告げられる。「徳さん、嬲らんといて。うちの、おとわがそんなこと・・・それに馬とは無二の親友でっせ」と初め半信半疑であった杢の市だったが、徳さんが去った後、いろいろ考えているうちに「そういえば、うちのやつ風呂行く言うとったがえらい遅いなあ。・・・ほたら、ほんまに徳さんの言うように、・・・」と疑心暗鬼になってくる。
最近のおとわの言動も気になる。やはり間男してるのか。疑惑は深まるばかりである。「くやしいなあ・・・俺の目が見えたら。」と思っているところに、おとわが帰ってくる。「えらい遅なってすんまへん。ちょっと横町の婆さんに捕まって話しこんでたもんやさかい。」だが、杢の市はそんな言い訳も信じられなくなった。「ええから羽織貸せ。」「ちょっとどこ行くん。」「ええから早よ出せ!」
杢の市はその足で清水寺の千手観音に参詣し、目が開きますようにと願掛けを始める。あわてたのはおとわと間男の馬之助である。「こら、あかん。あいつの目が開いたらえらいことや。」「あんた、どないするん。」「わしらもお参りに行こ。」と、これまた二人清水寺に連れだって「どうか、杢の市の目が開きませんように」と願掛けをすることに。
そうこうするうちに満願の日、一心不乱に拝む杢の市「何とぞ観音様、わたしの目が開きますように・・・・あっ!見える!目開いたがな!ああ・・観音様、有難うございます。」うれしさにむせびながら、ふと周りを見ると後ろの方で、おとわと馬之助が肩を並べて拝む姿が目に入る。
「ああ、他所の夫婦は仲がええなあ。」
概略
[編集]初代桂文治の作と言われている。地味な内容で笑いが少ないが、人間の心理をうまく描いており、何よりサゲが優れている。盲人を扱った落語は「景清」「心眼」「按摩炬燵」「言訳座頭」など数多いが、この噺は演じ手が少なく上方では初代森乃福郎、東京でも5代目古今亭志ん生くらいしかおらず、現在では2代目森乃福郎が演じるだけで半分埋もれた噺である。
参考文献
[編集]相羽秋夫「現代上方落語便利事典」少年社 1987年