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桐渓寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
桐渓寺
天王殿
桐渓寺の位置(湖南省内)
桐渓寺
湖南省における位置
基本情報
所在地 中華人民共和国の旗 中国湖南省長沙市岳麓区伏龍山
座標 北緯28度05分01秒 東経112度54分31秒 / 北緯28.083721度 東経112.908517度 / 28.083721; 112.908517座標: 北緯28度05分01秒 東経112度54分31秒 / 北緯28.083721度 東経112.908517度 / 28.083721; 112.908517
宗教 仏教
管理者 釈容禅
建設
様式 中国伝統建築
創設者 振郎禅師
創設 791年
完成 2005年(再建)
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桐渓寺(とうけいじ)は、中華人民共和国湖南省長沙市岳麓区伏龍山にある仏教寺院[1]

歴史

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791年(貞元7年)、禅宗青原行思系の弟子である振郎禅師が伏龍山に来て「興国寺」を建立したのが桐渓寺の前身である[2][3][4]会昌5年(845年)、武宗李炎は皇位を継ぐと、全国範囲で道教を振興し仏教を廃滅する運動を展開[3]。会昌の廃仏により一度は廃寺となったが[3]

の時、寺院は再建され、「伏龍庵」と改称された[3]

の末年、伏龍庵は戦火で焼失した[3]

の時、天岩応適は弟子を率いて寺を再建し、「桐渓寺」と改名した[3]。1874年(同治13年)、曽国藩は桐渓寺の背後にあった伏龍山に遷葬した[2][3]

中華民国の時、桐渓寺は麓山寺開福寺、杲山寺、上林寺、宝寧寺、華林寺、霊雲寺と並んで「長沙八大叢林」と呼ばれた[3]。1944年、有名な詩僧万休は桐渓寺で入滅した[3]

文化大革命の時、紅衛兵は桐渓寺を破壊し、仏像を燃やし、僧を解散させた[2][3][4]。2005年、釈容禅は『長沙市仏教志』を読んでいた時、桐渓寺の記録を見て、寺を訪ねようとしたが、イヌマキ2本とイチョウ1本しか見つからなかった[2][3][4]。釈容禅はイヌマキ下で寺院の再建を発願した[2][3][4]。2005年、信者の助成を受けて桐渓寺が再建された[2][3][4]

伽藍

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放生池、天王殿、大雄宝殿、観音殿、蔵経閣、鐘楼鼓楼、配殿、遊廊、客堂

ギャラリー

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大雄宝殿
伽藍菩薩関羽
天王殿韋駄菩薩

周辺建築

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 新区大王山旅遊度假区獲評省級旅遊度假区!”. 湘江新区管委会 (2022年12月30日). 2023年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f “掲秘曽国藩最后家園 伏龍山桐渓寺”. 鳳凰網. (2014年3月28日). オリジナルの2018年5月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180527195447/http://fo.ifeng.com/fojiaolvyou/detail_2014_03/27/35209590_0.shtml 2024年2月13日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m “復興千年桐渓寺、重啓一段塵封的歴史”. 網易. (2020年5月21日). オリジナルの2023年3月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230319153146/https://www.163.com/dy/article/FD5QDUCC0512OKM7.html 2024年2月13日閲覧。 
  4. ^ a b c d e “曽国藩墓地古寺掲秘:曽為長沙八大叢林之一”. 新浪. (2014年3月16日). オリジナルの2023年3月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230319151655/http://hunan.sina.com.cn/news/s/2014-03-16/093492155.html 2024年2月13日閲覧。