桐渓寺
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桐渓寺 | |
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天王殿 | |
基本情報 | |
所在地 | 中国・湖南省長沙市岳麓区伏龍山 |
座標 | 北緯28度05分01秒 東経112度54分31秒 / 北緯28.083721度 東経112.908517度座標: 北緯28度05分01秒 東経112度54分31秒 / 北緯28.083721度 東経112.908517度 |
宗教 | 仏教 |
管理者 | 釈容禅 |
建設 | |
様式 | 中国伝統建築 |
創設者 | 振郎禅師 |
創設 | 791年 |
完成 | 2005年(再建) |
桐渓寺(とうけいじ)は、中華人民共和国湖南省長沙市岳麓区伏龍山にある仏教寺院[1]。
歴史
[編集]791年(唐の貞元7年)、禅宗青原行思系の弟子である振郎禅師が伏龍山に来て「興国寺」を建立したのが桐渓寺の前身である[2][3][4]。会昌5年(845年)、武宗李炎は皇位を継ぐと、全国範囲で道教を振興し仏教を廃滅する運動を展開[3]。会昌の廃仏により一度は廃寺となったが[3]。
清の時、天岩応適は弟子を率いて寺を再建し、「桐渓寺」と改名した[3]。1874年(同治13年)、曽国藩は桐渓寺の背後にあった伏龍山に遷葬した[2][3]。
中華民国の時、桐渓寺は麓山寺、開福寺、杲山寺、上林寺、宝寧寺、華林寺、霊雲寺と並んで「長沙八大叢林」と呼ばれた[3]。1944年、有名な詩僧万休は桐渓寺で入滅した[3]。
文化大革命の時、紅衛兵は桐渓寺を破壊し、仏像を燃やし、僧を解散させた[2][3][4]。2005年、釈容禅は『長沙市仏教志』を読んでいた時、桐渓寺の記録を見て、寺を訪ねようとしたが、イヌマキ2本とイチョウ1本しか見つからなかった[2][3][4]。釈容禅はイヌマキ下で寺院の再建を発願した[2][3][4]。2005年、信者の助成を受けて桐渓寺が再建された[2][3][4]。
伽藍
[編集]放生池、天王殿、大雄宝殿、観音殿、蔵経閣、鐘楼、鼓楼、配殿、遊廊、客堂
ギャラリー
[編集]周辺建築
[編集]参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ “新区大王山旅遊度假区獲評省級旅遊度假区!”. 湘江新区管委会 (2022年12月30日). 2023年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月13日閲覧。
- ^ a b c d e f “掲秘曽国藩最后家園 伏龍山桐渓寺”. 鳳凰網. (2014年3月28日). オリジナルの2018年5月27日時点におけるアーカイブ。 2024年2月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “復興千年桐渓寺、重啓一段塵封的歴史”. 網易. (2020年5月21日). オリジナルの2023年3月19日時点におけるアーカイブ。 2024年2月13日閲覧。
- ^ a b c d e “曽国藩墓地古寺掲秘:曽為長沙八大叢林之一”. 新浪. (2014年3月16日). オリジナルの2023年3月19日時点におけるアーカイブ。 2024年2月13日閲覧。