桑山一玄
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長16年(1611年) |
死没 | 天和4年2月1日(1684年3月16日) |
改名 | 左内(幼名)、一玄 |
別名 | 一貞 |
戒名 | 清叔宗浄 |
墓所 | 東京都港区南麻布の天真寺 |
官位 | 従五位下修理亮 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 大和新庄藩主 |
氏族 | 桑山氏 |
父母 | 父:桑山一直、母:佐久間安政の娘 |
妻 | 正室:仙石忠政の娘 |
子 | 一尹、一慶(次男)、玄乃(三男)、一英(四男)、一規(五男)、亮忠、亮観、娘(内藤忠通正室)、娘(河野通矩室)、娘(堀直宥正室)、娘(設楽貞高室) |
桑山 一玄(くわやま かずはる)は、江戸時代前期の大名。大和国新庄藩3代藩主。官位は従五位下・修理亮。大和新庄藩桑山家4代。
生涯
[編集]慶長16年(1611年)、2代藩主・桑山一直の長男として駿河国にて誕生。寛永13年(1636年)、父の死去により家督を継ぐ。
寛永14年(1637年)、本多政武が改易された後、高取城番を務めた。延宝5年(1677年)8月22日、長男・一尹に家督を譲って隠居する。
しかしその一尹の代に桑山氏は改易され、一尹は天和3年(1683年)に先立って早世する。そのような悲劇の中で、息子の後を追うように天和4年(1684年)2月1日に死去した。享年74。