桑折宗臣
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永11年12月21日(1635年2月8日) |
死没 | 貞享3年3月3日(1686年3月26日) |
別名 | 通称:百助、親左衛門 |
墓所 | 愛媛県宇和島市の等覚寺 |
主君 | 伊達宗利 |
藩 | 伊予宇和島藩 |
氏族 | 宇和島伊達氏→桑折氏 |
父母 |
伊達秀宗、山上氏 桑折宗頼 |
兄弟 | 伊達宗実、伊達宗時、伊達宗利、菊、萬、鶴松、宗臣、伊達宗純、徳松、伊達宗職、竹松、松、岩松、清、伊達宗則 |
妻 | 宍戸定清娘 |
子 |
おいぬ、お通、宗敷 頼邑 |
桑折 宗臣(こおり むねしげ)は、江戸時代前期の伊予国宇和島藩家老・俳人・歌人。通称は百助、親左衛門。
略歴
[編集]1634年(寛永11年)12月21日、宇和島藩初代藩主・伊達秀宗の四男として誕生[1]。
1640年(寛永17年)城代家老桑折宗頼の養子となり、1652年(承応元年)に家老職に就任する[1]。1664年(寛文4年)頃に家老職を義弟・宗邑に譲り、隠居する[1]。俳諧は北村季吟を師とし、本水や青松軒などの号を用いた[2]。文化人としての活躍が目立ち、多くの著書を残している。1686年(貞享3年)3月3日、53歳没[1]。
墓所は、愛媛県宇和島市の等覚寺[3]。辞世の句は「月の入る山のあなたは雲(はれて)心にかかるくまもなき(かな)」[2]。
著書
[編集]作法書
- 『弊嚢集』
- 『知新抄』
俳諧集
和歌集
- 『宗臣君御自詠』
発句集
- 『宇和島百人一句』
- 『大海集』 - 伊予の俳人として初めて編纂刊行した[1]。
俳諧連歌集
- 『郭公千句』
日記
- 『文宝日記』
- 『青松軒之記』
系譜
[編集]- 父:伊達秀宗(1591-1658)
- 母:山上氏
- 養父:桑折宗頼
- 正室:宍戸定清の娘
- 女子:おいぬ - 松根造酒允室
- 女子:お通 - 鈴木仲右衛門室
- 男子:桑折宗敷
- 男子(養子):桑折頼邑 - 桑折宗頼の子
脚注
[編集]- ^ a b c d e “愛媛の偉人・賢人の紹介 桑折宗臣”. 愛知県生涯学習センター. 2020年11月閲覧。
- ^ a b c “市指定 桑折宗臣の墓 - 宇和島市ホームページ”. www.city.uwajima.ehime.jp. 2020年11月22日閲覧。
- ^ “データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム”. www.i-manabi.jp. 2020年11月22日閲覧。