伊達宗実 (宇和島伊達家)
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長17年(1612年) |
死没 | 寛永21年7月14日(1644年8月16日) |
別名 | 千松 |
戒名 | 冷照院月山宗珠 |
官位 | 左近太夫 |
藩 | 伊予宇和島藩世嗣 |
氏族 | 伊達氏(宇和島伊達家) |
父母 | 伊達秀宗、井伊直政娘・亀 |
兄弟 |
宗実、宗時、宗利、菊、萬、鶴松、 桑折宗臣、宗純、徳松、宗職、竹松、松、岩松、清、宗則 |
伊達 宗実(だて むねざね)は、江戸時代前期の伊予国宇和島藩の世嗣[1]。
生涯
[編集]秀宗の正室の子で嫡子であったが病弱であったため、寛永14年(1627年)に嫡を辞し、弟・宗時に嫡子の座を譲った[1]。寛永21年(1644年)、父に先立ち33歳で死去した[1]。なお、宗実の早世は和霊騒動による山家公頼の祟りと噂された[2]。
宗実は文化人・教養人として知られ、『源氏物語』を54冊に書写しており[1]、宗実没後は弟・宗利の正室の稲姫(松平光長の娘)によって書き継がれている[3]。