桜を放つ女性

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『桜を放つ女性』
英語: Woman Shooting Cherry Blossoms
作者インカ・ショニバレCBE
製作年2019
素材マネキン、綿布、地球儀、鋼鉄、真鍮、亜鉛合金、木、樹脂、絹
主題フェミニズムエンパワーメント
寸法193 cm (76 in)
所蔵福岡県福岡市(日本)

桜を放つ女性: Woman Shooting Cherry Blossoms)は、芸術家のインカ・ショニバレによる2019年の作品。福岡市美術館でショニバレの日本初個展が開催された時に委託作品として制作された。ショニバレはナイジェリア系のイギリス人として歴史や社会の問題を作品にしており、本作品は女性にエールを贈る目的で制作した。ショニバレが初めて日本を題材とした作品でもある[1]

背景[編集]

作者[編集]

ロンドン出身のショニバレは3歳から17歳をナイジェリアのラゴスで生活し、ロンドンで美術や哲学を学んだ。自らの体験を通して植民地主義や社会の問題を作品のテーマとし、1997年に若手芸術家を集めたセンセーション展で注目を集めた[2][3][4]。ショニバレの作品は、文化が混じり合って作られる混淆性や両義性を表し、アフリカが植民地化されていた18世紀から19世紀の西洋の絵画や人物をしばしば題材とする。固有の文化と思われるものが不確実であるというメッセージも込められており、たとえば本作品にも使われているアフリカン・プリントと呼ばれる布は、アフリカではなくヨーロッパ製品であるという複雑な経緯を持っている(後述[注釈 1][6][4]。ショニバレはこうした素材を、権力やそれに対する抵抗と結びつけてイメージを重層的に表現する。ショニバレは、自作の特徴について政治的でありつつも軽さと遊戯性があると語っており、ユーモアが含まれた作品も多数発表している[注釈 2][4][7]

ショニバレはドクメンタ11ヴェネチア・ビエンナーレをはじめとして各地の美術館の展覧会に出品し、2019年には大英帝国勲章三等勲位(CBE)を授与された[2][8]。日本では2006年の森美術館における国際巡回展「アフリカ・リミックス 多様化するアフリカの現代美術」で作品が展示され、2016年には横浜美術館の「BODY / PLAY / POLITICS」で立体作品や映像作品が展示された[9]

美術館[編集]

福岡市美術館でショニバレの個展が開催されたきっかけは、企画展だった。同館には古美術部門と近現代美術部門があり、古美術は近世以前のアジア、近現代美術は九州・日本・欧米の美術を収集している[注釈 3]。収蔵品の中にはアジアの染織もあり、1990年代から調査と研究を進め、その成果として「更紗の時代」(2014年)という企画展を開催した[11][10]

「更紗の時代」は大航海時代以降の更紗の歴史をたどるという内容で、インド更紗やインドネシアのバティックが展示された。近現代のプリント布も展示され、その中にはショニバレ作品の素材になっているアフリカン・プリントも含まれていた[注釈 4]。当時、ショニバレ作品の展示も検討されたが見送られ、2019年の個展「インカ・ショニバレCBE: Flower Power」で実現した。同館は2016年9月から2019年3月までリニューアルのために休館しており、リニューアルオープンと同時に個展が開催された[注釈 5][10][13][14]

構成と解釈[編集]

女性へのエールを込めた本作品では、アフリカン・プリントを生地にしたドレスを作り、ドレスを着た女性像がライフルを撃っている。銃口からは桜の枝が飛び出し、桜の花びらにはさまざまな色が含まれている。色彩の豊かな外観を持ちつつ、女性差別への対抗と権利向上への協働が込められている[注釈 6][3][16][17][18]。素材には、マネキン、綿布、地球儀、鋼鉄、真鍮、亜鉛合金、木、樹脂、絹が使われている[1]。サイズは193 × 436 × 244cmとなる[14]

衣服[編集]

ドレスのデザインは、19世紀イギリスのエドワード朝の様式になっている。これは明治時代の日本が洋服の参考にした様式であり、鹿鳴館において女性の洋装に同様のデザインが使われていた。衣服によって、明治時代から西欧化を進めた日本を表現している[16][19][1][14]

アフリカン・プリントは、もとはインドネシアのバティックと呼ばれる更紗から来ている。インドネシアに植民地を建てたオランダは、人々が手作りをしていたバティック製造を19世紀に機械化し、ヨーロッパで生産した更紗をアフリカにも輸出した。ヨーロッパやアフリカでは、生地の軽さや肌触り、豊富な染色、洗濯の容易さなどで更紗が好まれて普及した。このように更紗の歴史は植民地主義と密接に関係している[注釈 7][21][6]。アフリカン・プリントは、いわばヨーロッパ製品だったが、1960年代にはアフリカ独立の象徴となり、アフリカやアジアでも生産された経緯がある。ショニバレはこうした歴史を組み入れ、アフリカン・プリントを文化混淆やアイロニーなどさまざまな肯定的・否定的な意味に使っている[注釈 8][4]

[編集]

ライフルの銃口からは、満開の桜の木が飛び出している。銃口から出ている桜は創造の力を表し、桜の花びらの色はさまざまで、交配による多様性も表している。また、福岡市美術館のリニューアルオープンが桜の時期だったことを祝う意味も込められている[24][25][1][14]

頭部[編集]

女性像の頭部として地球儀が付けられている[注釈 9]。地球儀の各所には、19世紀から21世紀にかけて女性の権利の獲得に貢献した著名な人物の名前が92名分書かれている[注釈 10]。ショニバレ自身が抑圧に対抗してきた経験があり、社会の中で不平等と闘ってきた女性に対する支持を表明している[注釈 11][1][14][12]

来歴[編集]

ショニバレの個展「インカ・ショニバレCBE:Flower Power」は2019年3月21日(木)から5月26日(日)に開催され、リニューアルオープン記念の「これがわたしたちのコレクション」と同時開催となった。個展ではショニバレの代表作が紹介され、本作品は特別展示室で展示された。個展のキュレーター正路佐知子は、福岡市美術館にとってショニバレは古美術と現代美術をつなぎ、アジアとヨーロッパとアフリカをつなぐ人物としている[10]。会期中には、ショニバレの講演も行われた[28][29]

クレジットのアーティスト名前は、「インカ・ショニバレCBE」となっている。ネームに称号をつけている理由として、英国人らしくない自分に英国の称号がついているのが面白く、矛盾を表現することをやりたいと語っている[3]

リニューアルオープン1周年を記念して、2020年3月26日から4月19日まで無料公開が企画された。近現代美術室Aで展示され、写真撮影も可能だったが、新型コロナウイルスの影響による臨時休館で途中終了となった[注釈 12][32]。無料公開の終了後は、近現代美術室C「コレクション・ハイライト」で展示されている[33][34]

出典・脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ アフリカン・プリントは、染色方法によってワックスとファンシーの2種類がある。ワックスは、ろうけつ染めで作られていたバティックに由来する。ファンシーはローラープリントによって作られるものを指す。一般にワックスの方が値段が高い。アフリカン・プリントは西アフリカではフランス語でパーニュとも呼ばれる[5]
  2. ^ アフリカン・プリントやパーニュは、エル・アナツイやエディー・カマンガ・イルンガ(Eddy Kamuanga Ilunga)など他のアフリカの芸術家も作品に取り入れている[3]
  3. ^ 1999年に福岡アジア美術館が開館したのちは、アジアの近現代美術は福岡アジア美術館が収集している[10]
  4. ^ アフリカン・プリントは日本でも製造された経緯があり、日本の服飾でも目にする[10]
  5. ^ 同年には、あいちトリエンナーレアファーマティヴ・アクションとして出品作家のジェンダー平等が行われた[12]
  6. ^ 銃を用いた芸術として、銃をシャベルに改造して植樹に使う『銃をシャベルに』(ペドロ・レイエス英語版作、2008年)や、食材で銃を作ったのちに食べる『ベジタブル・ウェポン』(小沢剛作、2001年)などもある[15]
  7. ^ さらに遡れば、バティックはインド更紗を起源とする。インドネシアではインド更紗の影響によって、古くからジャワ更紗とも呼ばれる布が作られていた[20]
  8. ^ 『Gallantry and Criminal Conversation』(2002年)では17世紀から18世紀のイギリス貴族の服[22]、『瓶の中のネルソンの船』(2007年)ではヴィクトリー号の模型の船の帆[23]、映像作品『さようなら、過ぎ去った日々よ』(2011年)では19世紀フランス風のドレスに使われている[9]
  9. ^ ショニバレの作品には、地球儀を頭部に持つ人形像がしばしば見られる。『ハイビスカスの下に座る少年』(2015年)では少年像の頭部の地球儀はイギリス帝国の植民地が赤く塗られており、イギリスとナイジェリアにつながる自画像的な意味も含んでいる[26]
  10. ^ 日本の部分には、Kato Shizue(加藤シヅエ)、Ichikawa Fusae(市川房枝)、Tanaka Mitsu(田中美津)、Ueno Chizuko(上野千鶴子)と書かれている[1]
  11. ^ 本作品発表前の2018年12月に世界経済フォーラムが発表したジェンダー・ギャップ指数では、日本は149カ国の中で110位にあり、G7の中で最下位だった[27][3]
  12. ^ この時期には、同館の「福岡ミュージアムウィーク2020」や、特別展「ボストン美術館展 芸術×力」なども中止となった[30][31]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 福岡市美術館 2020a.
  2. ^ a b Yinka Shonibare, CBE (RA) | Biography”. yinkashonibare.com. 2020年2月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e 佐々木, 直樹 (2019年4月25日). “華やかさと裏腹の影 先入観揺さぶる 英国代表するナイジェリア系美術家 インカ・ショニバレさん国内初個展 福岡市美術館【コラム】”. アルトネ. https://artne.jp/column/669 2020年8月8日閲覧。 
  4. ^ a b c d 正路 2020, pp. 106–107.
  5. ^ 遠藤 2013, pp. 7–9.
  6. ^ a b 正路 2019, pp. 98–99.
  7. ^ 山本 2019, pp. 243–244.
  8. ^ インカ・ショニバレ CBE”. 美術手帖. 2020年8月8日閲覧。
  9. ^ a b 『横浜ダンスコレクション2017 BODY / PLAY / POLITICS』インカ・ショニバレ MBE”. 横浜美術館. 2020年8月8日閲覧。
  10. ^ a b c d e 正路, 佐知子. “キュレーターズノート 収集活動と展覧会活動が次なる展覧会を生む── 「インカ・ショニバレCBE:Flower Power」”. アートスケープ. 2020年8月8日閲覧。
  11. ^ 特別展 更紗の時代”. 福岡市美術館. 2020年8月8日閲覧。
  12. ^ a b 正路, 佐知子. “キュレーターズノート 「わたし」が発するとき── 「彼女たちは叫ぶ、ささやく─ヴァルネラブルな集合体が世界を変える」展”. アートスケープ. 2020年8月8日閲覧。
  13. ^ 福岡市美術館リニューアルオープン記念展 「これがわたしたちのコレクション+インカ・ショニバレCBE: Flower Power」”. 福岡市美術館. 2020年8月8日閲覧。
  14. ^ a b c d e 福岡市美術館 2020b.
  15. ^ 山本 2019, pp. 100, 183–184.
  16. ^ a b 福岡市美術館 2019, pp. 91–92.
  17. ^ 正路 2019, pp. 100–102.
  18. ^ 正路 2020, pp. 109–110.
  19. ^ 正路 2019, p. 101.
  20. ^ 遠藤 2013, p. 36.
  21. ^ 遠藤 2013, pp. 31–36, 45.
  22. ^ Yinka Shonibare MBE, Gallantry and Criminal Conversation”. National Museum of African Art. 2020年2月20日閲覧。
  23. ^ 正路 2020, p. 107.
  24. ^ 福岡市美術館 2029, pp. 91–92.
  25. ^ 正路 2029, p. 101.
  26. ^ 正路 2020, p. 108.
  27. ^ 世界経済フォーラムが「ジェンダー・ギャップ指数2018」を公表”. 内閣府男女共同参画局総務課. 2020年8月8日閲覧。
  28. ^ インカ・ショニバレ講演会”. 福岡市美術館. 2020年8月8日閲覧。
  29. ^ 福岡市美術館Facebook” (2019年3月27日). 2020年8月8日閲覧。
  30. ^ “「福岡ミュージアムウィーク2020」の中止について”. 福岡市美術館. (2020年4月14日). https://www.fukuoka-art-museum.jp/topics/10629/ 2020年8月8日閲覧。 
  31. ^ “特別展「ボストン美術館展 芸術×力」開催中止のお知らせ”. 福岡市美術館. (2020年4月22日). https://www.fukuoka-art-museum.jp/topics/10674/ 2020年8月8日閲覧。 
  32. ^ “《桜を放つ女性》を自宅で鑑賞しませんか?”. 福岡市美術館. (2020年4月15日). https://www.fukuoka-art-museum.jp/blog/10580/ 2020年8月8日閲覧。 
  33. ^ 山根, 秀太 (2020年3月31日). “福岡市美術館でインカ・ショニバレの「桜を放つ女性」無料公開”. ささっと. https://sasatto.jp/article/entry-507.html 2020年8月8日閲覧。 
  34. ^ “コレクションハイライト”. 福岡市美術館. (2020年3月31日). https://www.fukuoka-art-museum.jp/collection/?q=modern 2020年8月8日閲覧。 

参考文献[編集]

  • インカ・ショニバレCBE「アーティスト・ステートメント 桜を放つ女性」『インカ・ショニバレCBE Flower Power 展覧会図録』福岡市美術館、2019年。 
  • 遠藤聡子『パーニュの文化誌 - 現代西アフリカ女性のファッションが語る独自性』昭和堂、2013年。 
  • 正路佐知子「歴史を現在進行形としてとらえる―インカ・ショニバレCBEの作品と『わたし』を接続するために」『インカ・ショニバレCBE Flower Power 展覧会図録』福岡市美術館、2019年。 
  • 正路佐知子 著「初の日本個展 インカ・ショニバレの姿」、ウスビ・サコ, 清水貴夫 編『現代アフリカ文化の今 15の視点から、その現在地を探る』青幻舎、2020年。 
  • 山本浩貴『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。 
  • 『インカ・ショニバレCBE Flower Power 展覧会図録』福岡市美術館、2019年。 
  • 《桜を放つ女性》作品解説リーフレット(福岡市美術館)”. 福岡市美術館. 2020年8月8日閲覧。
  • 季刊誌「エスプラナード」199号”. 福岡市美術館. 2020年8月8日閲覧。

関連文献[編集]

  • 塚田美紀 著「国際的に活躍する「アフリカ系」アーティストたち」、ウスビ・サコ, 清水貴夫 編『現代アフリカ文化の今 15の視点から、その現在地を探る』青幻舎、2020年。 
  • 中村融子 著「アートシーンのフィールドワーク 現代アフリカ美術を取り巻く場と人々」、ウスビ・サコ, 清水貴夫 編『現代アフリカ文化の今 15の視点から、その現在地を探る』青幻舎、2020年。 

外部リンク[編集]