桜井三郎右衛門 (11代)
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桜井 三郎右衛門(さくらい さぶろうえもん、1881年(明治14年)4月15日[1] - 没年不明)は、日本の実業家、島根県多額納税者[2][3]、島根県の大地主[4][5]。族籍は島根県平民[1][4][5]。
経歴
[編集]島根県・桜井三郎右衛門の長男[1]。1908年、家督を相続し、旧名・直養を改め襲名する[1]。農業を営む[2][3][4][5]。八雲銀行[4]、出雲館製糸所各取締役、松江銀行監査役をつとめる[1]。
人物
[編集]家族・親族
[編集]- 桜井家
→詳細は「桜井三郎右衛門 § 桜井家」を参照
- 父・三郎右衛門(直達、1849年 - 1908年、大地主[6]、鉱業[7]、貴族院多額納税者議員) - 出雲国神門郡下古志村(現・島根県出雲市下古志町)、神田猪蔵の三男に生まれ、桜井家の養子となる[8]。
- 母・ムメ(1852年 - ?、島根、並河捨太郎の姉)[1][5]
- 養兄・幾之助(1867年 - ?、姉ハルノ夫、桜井運右衛門の二男)[1][5]
- 妹[1]
- 妻[1]
- 長女[1]
- 庶子女・タケ(1910年 - ?、生母は中川テツ、広島県人・渡邊文太郎の養子となる)[1]
- 養子・三郎右衛門(1903年 - 1991年) - 大社町出身で、大社中学を卒業し、桜井家より懇望されて養子となる[8]。
- 親戚
- 大村貞蔵(島根県多額納税者、農業、松江銀行取締役) - 養子・三郎右衛門の父である。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』さ91 - 92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月4日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』サ123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月4日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第15版』全国多額納税者16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月5日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第4版』さ73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月5日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第3版』さ141 - 142頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月4日閲覧。
- ^ 『日本現今人名辞典』さ21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月5日閲覧。
- ^ 『全国多額納税者互選名鑑』335頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月5日閲覧。
- ^ a b 『島根県案内誌』仁多郡ノ部374 - 375頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 梅田正勝『全国多額納税者互選名鑑』溝口摂弥、1898年。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 『日本紳士録 第15版』交詢社、1910年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 『島根県案内誌』国粋新聞社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。