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桜井村 (埼玉県北葛飾郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さくらいむら
桜井村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
桜井村豊岡村(一部) → 泉村
現在の自治体 杉戸町[1]
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北葛飾郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,445
国勢調査1950年
隣接自治体 杉戸町、幸手町庄和村、豊岡村
桜井村役場
所在地 埼玉県北葛飾郡桜井村
座標 北緯36度02分22秒 東経139度47分31秒 / 北緯36.03956度 東経139.79192度 / 36.03956; 139.79192 (桜井村)座標: 北緯36度02分22秒 東経139度47分31秒 / 北緯36.03956度 東経139.79192度 / 36.03956; 139.79192 (桜井村)
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桜井村(さくらいむら)は埼玉県の東部、中葛飾郡および北葛飾郡に属していた。現在の杉戸町の東部にあたる[1]

歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、椿村、深輪村、屏風村、木崎村、芦橋村、倉常村、細野村が合併して中葛飾郡桜井村が発足。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 中葛飾郡が北葛飾郡に統合されたため、所属郡が北葛飾郡に変更。
  • 1917年(大正6年) - 大字細野を吉田村(現幸手市)に編入。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 豊岡村の一部(大字目沼、木津内、宮前、鷲巣、木野川)と合併して泉村が発足。同日桜井村廃止。

経済

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産業

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農業

『大日本篤農家名鑑』によれば桜井村の篤農家は、「関口友次郎、新井慶十郎、中山久四郎、知久千代吉、関口豊太郎、青木久平、関口富五郎、五月女峰蔵、新井國吉、大越團次郎、遠藤権七、山野井平次郎」などがいた[2]。また『全国篤農家列伝』では埼玉県の篤農家として関口弥五が紹介されている[3]

地主

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関口弥五は埼玉県の大地主である[4]

出身著名人

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脚注

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  1. ^ a b 木崎、芦橋、倉常地区は現在の春日部市、細野地区は現在の幸手市にあたる。
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』301頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年5月30日閲覧。
  3. ^ a b 『全国篤農家列伝』90 - 92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年5月30日閲覧。
  4. ^ a b 『日本現今人名辞典』せ4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月6日閲覧。

参考文献

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  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
  • 『全国篤農家列伝』愛知県農会、1910年。
  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 角川日本地名大辞典 11 埼玉県』。

関連項目

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