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関口弥五

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関口弥五

関口 弥五關口 彌五[1][2][3]、せきぐち やご[2][3]1848年3月30日(弘化5年2月26日[4])- 1920年大正9年)8月31日[2][5])は、日本の篤農家[6]、埼玉県の大地主[3]政治家貴族院多額納税者議員埼玉県会議員[2]。族籍は埼玉県平民[1][7]

経歴

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武蔵国葛飾郡深輪村(のち埼玉県北葛飾郡桜井村[1]、現・北葛飾郡杉戸町)で、大地主・関口家の嗣子として生まれる[4]

1873年、深輪学校(杉戸町立桜井小学校、現杉戸町立泉小学校)の設立に尽力し、第26番中学区取締、第25番学区取締を歴任[4]。私財を投じて地元の教育の充実に努めた[4][6]

また、農業振興に尽力し、私財で用水路・耕作道の修繕改良を行い、農具改良、種子の精選、共同苗代の設置、小作人の保護を行うなど、常に農事の研究改良に当った[6]

政界では1879年、埼玉県会議員に就任し、同常置委員なども務めた[4][5]1890年9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[8]1894年7月12日に辞任した[4][5][9]

人物

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直接国税総納額は、1890年に刊行された『帝国議会議員選挙者名鑑』によると「1329円39銭9厘」[7]1898年に刊行された『全国多額納税者互選名鑑』によると「1563円17銭3厘」である。

脚注

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  1. ^ a b c 『全国多額納税者互選名鑑』87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月10日閲覧。
  2. ^ a b c d 『議会制度七十年史 第1』198頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月19日閲覧。
  3. ^ a b c 『日本現今人名辞典』せ4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年6月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『埼玉人物事典』453頁。
  5. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』206頁。
  6. ^ a b c 『全国篤農家列伝』90 - 92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年6月1日閲覧。
  7. ^ a b 『帝国議会議員選挙者名鑑』24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月19日閲覧。
  8. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
  9. ^ 『官報』第3312号、明治27年7月14日。

参考文献

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  • 後藤本馬編『帝国議会議員選挙者名鑑』金松堂、1890年。
  • 梅田正勝編『全国多額納税者互選名鑑』溝口摂弥、1898年。
  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
  • 愛知県農会『全国篤農家列伝』愛知県農会、1910年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。