梅谷修三
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梅谷 修三(うめたに しゅうぞう、1897年〈明治30年〉11月5日[1][2] - 1954年〈昭和29年〉5月29日[3])は、昭和時代の台湾総督府官僚。
経歴
[編集]梅谷市太郎の長男として[2]、香川県仲多度郡琴平町に生まれる[1]。第六高等学校を経て、1924年(大正13年)4月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、1927年(昭和2年)12月に高等試験行政科に合格した[2]。
交通局書記を皮切りに、府衛生課勤務、台北州保安課長を経て、1932年(昭和7年)3月、台北州羅東郡守に就任[1]。ついで同州宜蘭郡守を経て、1935年(昭和10年)9月、新竹州地方課長に転じた[1]。その後は、府営林所庶務課長、殖産局鉱務課長、文教局学務課長などを歴任し、皇民奉公会中央本部生活部参事を務めた[2]。
戦後は、四国地方更生保護委員会委員長を歴任した[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 台湾新民報社 1937, 24頁.
- ^ a b c d 興南新聞社 1943, 42頁.
- ^ a b 日本更生保護協会 1954, 34頁.