梨のつぶて
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梨のつぶて | ||
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著者 | 丸谷才一 | |
イラスト | 装丁:平野甲賀 | |
発行日 | 1966年10月15日 | |
発行元 | 晶文社 | |
ジャンル | 評論 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 | 上製本 | |
ページ数 | 272 | |
コード | 1095-3620-3091 | |
ウィキポータル 文学 | ||
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『梨のつぶて』(なしのつぶて)は、丸谷才一が最初に著した評論集。
1966年10月15日、晶文社より刊行された。装丁は平野甲賀。正式のタイトルは「梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集」。
内容
[編集]Ⅰ 文明
タイトル | 初出 | 備考 |
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未来の日本語のために | 『中央公論』1964年3月号 | 『日本語のために』(新潮社、1974年8月)に収録された。 |
津田左右吉に逆らって | 書き下ろし | 『丸谷才一批評集 第1巻 日本文学史の試み』(文藝春秋、1996年5月)に収録された。 |
日本文学のなかの世界文学 | 『展望』1966年1月号 | |
実生活とは何か、実感とは何か | 『群像』1966年2月号 | 『丸谷才一批評集 第1巻 日本文学史の試み』(前掲)に収録された。 |
Ⅱ 日本
タイトル | 初出 | 備考 |
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舟のかよひ路 | 『文芸読本 源氏物語』(1962年9月) | |
家隆伝説 | 『風景』1965年10月号 | |
吉野山はいづくぞ | 『展望』1965年3月号 | |
鬼貫 | 『ユリイカ』1959年1月号 | |
空想家と小説 | 『文藝』1963年1月号 | 『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(文藝春秋、1996年4月)に収録された。 |
菊池寛の亡霊が | 『秩序』第9号(1961年7月) | 『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(前掲)に収録された。 |
梶井基次郎についての覚え書 | 『近代文学鑑賞講座』第18巻(1959年12月) | 『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(前掲)に収録された。 |
小説とユーモア | 『東京新聞』1960年9月12日、13日、15日 |
Ⅲ 西欧
タイトル | 初出 | 備考 |
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「嵐が丘」とその付近 | 『世界名作全集』第8巻(1960年10月) | |
サロメの三つの顔 | 『フィルハーモニー』1965年1月号 | |
ブラウン神父の周辺 | 『世界推理名作選』(1962年10月) | |
若いダイダロスの悩み | 『ジョイス研究』(1955年7月) | |
西の国の伊達男たち | 『三田文学』1959年4月・5月合併号 | 『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(前掲)に収録された。 |
エンターテインメントとは何か | 『近代文学』1953年3月号 | 『丸谷才一批評集 第4巻 近代小説のために』(前掲)に収録された。 |
グレアム・グリーンの文体 | 『英文法研究』1959年11月号 | |
父のいない家族 | 『英語青年』1958年2月号 |
- 「未来の日本語のために」では、『マタイによる福音書』第6章26節から31節までの文語訳(大正6年)と口語訳(昭和29年)を全文引用して論じている。後者について丸谷は、「イエスの口から断じて出るはずがない、平板で力点がなくて、たるみにたるんでいる駄文」「世界の文明国のなかで、新教徒が、これほど馬鹿ばかしい文体で書かれた聖書を読まされている国が、そういくつもあるとはぼくには思えない」[1]と評した。
- 「津田左右吉に逆らって」は、初め『中央公論』で掲載を断られ、『展望』に持ち込むも反応がなく、『文学』では津田批判の部分の全文削除を条件に掲載を了承される。こういった事情から書き下ろしとなったという[2]。
- 「西の国の伊達男たち」は、「T・S・エリオットの『荒地』は美しい反復によって終る。/Shantih Shantih Shantih/同じ言葉がくりかえされるのは、しかもそれが三度であるのは、もちろんある種の呪術的効果をねらったものだ」[1]という文章で始まる。