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森嘉兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日[1] - 1981年4月8日)は、日本歴史学者岩手大学名誉教授経済学博士。研究テーマは主に南部藩を始めとする近世史だが、中尊寺金色堂の調査に参加するなど、その活動分野は幅広かった。

概要

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岩手県盛岡市の豪商の家に生まれる。盛岡中学から法政大学経済学部に進み[1]小野武夫の下で近世日本経済史を研究した。1929年卒業[2][3]。岩手県教育会書記[4]を務め、岩手師範学校教授[2]1947年昭和天皇が岩手県に戦後巡幸された際に拝謁し、岩手県の開拓史について奏上する[5]。その後、1949年に岩手大学教授[6][3]1969年定年退官。学内では学芸学部長、教育学部長を歴任した[1]。退官後は、盛岡短期大学講師や富士大学教授を務めた[1]1981年『森嘉兵衛著作集』編纂中に盛岡市の自宅で死去。

社会経済史の立場から岩手県の通史の研究を行い、1951年「近世奥羽農業経営史論」により東北大学から経済学博士を取得[7]。同年より岩手日報で連載した「岩手を作る人々」は県民の郷土史への関心を高めたとされ、「岩手史学会」設立などで人材育成にも努めた。

1949年、第1回岩手日報文化賞を受賞[1]1973年に勲三等旭日中綬章を受章[8]

著書

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  • 『岩手を作る人々』岩手日報社 1952
  • 『近世奥羽農業経済組織論』有斐閣 1953
  • 『明治前期岩手県農業発達史』農林省農業総合研究所 1953
  • 『盛岡市史 第3分冊 近世期』盛岡市史編纂委員会編 盛岡市 1956-1969
  • 『盛岡市史 第1分冊 第1 総説先史期』盛岡市史編纂委員会編 盛岡市 1958
  • 興産相互銀行二十年史』興産相互銀行二十年史編纂委員会 1962
  • 三浦命助伝 南部藩百姓一揆の指導者』平凡社 1962
  • 『五戸・木村文書』五戸町誌刊行委員会 1965
  • 『日本の武将 津軽南部の抗争 南部信直』人物往来社 1967
  • 『日本僻地の史的研究』法政大学出版局 1969-1970
  • 『岩手県の歴史』山川出版社 1972 県史シリーズ
  • 北日本相互銀行二十年史』北日本相互銀行二十年史編纂委員会 1972
  • 『岩手をつくる人々 近代篇』法政大学出版局 1974
  • 『岩手近代百年史』熊谷印刷出版部 1974
  • 『みちのく文化論』法政大学出版局 1974
  • 『岩手をつくる人々 古代-近世篇』法政大学出版局 1983
  • 森嘉兵衛著作集』全10巻 法政大学出版局 1982-2003
第1巻 (奥羽社会経済史の研究/平泉文化論) 1987
第2巻 (無尽金融史論) 1982
第3巻 (陸奥鉄産業の研究) 1994
第4巻 (奥羽農業経営論) 1983
第5巻 奥羽名子制度の研究 1984
第6巻 (近世農業労働構成論) 1998
第7巻 (南部藩百姓一揆の研究)1992
第8-9巻 日本僻地の史的研究 九戸地方史 1982-1983
第10巻 (岩手近代史の諸問題) 2003

共編著

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記念論集

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  • 『森嘉兵衛教授退官記念論文集』法政大学出版局 1969

参考文献

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脚注

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  1. ^ a b c d e 森嘉兵衛(もりかへえ)”. 盛岡市公式ホームページ. 盛岡市. 2024年1月16日閲覧。
  2. ^ a b 森嘉兵衛賞”. hoseikeiyukai.jp. 法政大学経済学部同窓会 (2018年7月31日). 2024年1月16日閲覧。
  3. ^ a b 法政大学校友名鑑刊行会 編『法政大学校友名鑑』法政大学校友名鑑刊行会、1941年、253頁。NDLJP:1461443/380 
  4. ^ 日本経済史研究所 編『郷土史家名簿』日本経済史研究所、1934年、5頁。NDLJP:1209348/5 
  5. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、402頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
  6. ^ 『官報』第6853号、昭和24年11月15日、p.131.NDLJP:2963396/2
  7. ^ 書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2024年6月6日閲覧。
  8. ^ 『官報』第14060号、昭和48年11月7日、p.7.

外部リンク

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