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森敦彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森 敦彦
名前
愛称 レゲエ君
カタカナ モリ アツヒコ
ラテン文字 MORI Atsuhiko
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-05-31) 1972年5月31日(52歳)
出身地 兵庫県
身長 179cm[1]
体重 73kg[1]
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1988-1990 日本の旗 滝川第二高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1997 日本の旗 全日空/横浜フリューゲルス 107 (0)
1997 日本の旗 コンサドーレ札幌 (loan) 5 (0)
通算 112 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

森 敦彦(もり あつひこ、1972年5月31日 - )は、日本の元サッカー選手、現ファッションデザイナー兵庫県出身。

妻はモデルで、子供服・婦人服ブランド「HUG O WaR」(ハグ・オー・ワー)のデザイナーでもある雅姫。また、一女 (1996年生) の父である。

来歴

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滝川第二高校卒業後、1991年日本サッカーリーグ所属の全日空横浜サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)に入団。Jリーグ草創期の人気ゴールキーパーとして活躍。ロングヘアやドレッドヘアバンダナといった風貌で一躍有名となり、レゲエ音楽の愛好家でもあることから「レゲエくん」と呼ばれた。

Jリーグでの活躍から日本代表候補に選出されるなど、順風満帆な時期を過ごしていたが、1995年8月12日長崎県立総合運動公園陸上競技場での対浦和レッドダイヤモンズ戦において、判定を不服とし審判に対し故意に肩を当てた暴力行為で、3か月出場停止という厳しい処分が下された(当該試合は0-6で完敗。2018年現在でも試合中における行為でこれを上回る処分は下されていない)。その間に正GKの座は当時プロ入り1年目の楢﨑正剛に奪われた。

その後、1997年ジャパンフットボールリーグ(当時)のコンサドーレ札幌にレンタル移籍するも、この年限り25歳で現役引退。

引退後はサッカーには関わらず、東京都内にバー「ROCK STEADY」をオープン、本格的なサウンドシステムとこだわりの音楽で注目を集める。2005年からは、同じく元サッカー選手の石塚啓次[2](元東京ヴェルディ1969ほか)と共に、ファッション・ブランド「WACKO MARIA」(ワコマリア)の展開をスタートさせている。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1991-92 全日空 31 JSL1部 0 0 0 0
1992 横浜F - J - 0 0
1993 36 0 6 0 4 0 46 0
1994 37 0 1 0 2 0 40 0
1995 27 0 - 0 0 27 0
1996 7 0 0 0 0 0 7 0
1997 23 0 0 0 0 - 0 0
1997 札幌 30 旧JFL 5 0 - 0 0 5 0
通算 日本 J 107 0 7 0
日本 JSL1部 0 0 0 0
日本 旧JFL 5 0 -
総通算 112 0 7 0

その他の公式戦

代表歴

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  • 日本代表(A代表)1995年(招集歴はあるが試合の出場はない)

エピソード

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  • 1993年6月2日Jリーグサントリーシリーズ第6節、対ガンバ大阪戦の前半36分、ガンバDFの和田昌裕が放ったシュート性のセンタリングをファンブルし、こぼれ球を永島昭浩にプッシュされ失点、結局これが決勝点になりフリューゲルスは敗れた。試合後、ショックを受けた森は当時の監督加茂周に対して自身をスターティングメンバーから外す事を直訴したが、加茂はこれを却下しその後も試合に出場させ続けた。そして結局森はこのシーズン、出場停止となった天皇杯決勝(石末龍治が出場)以外の全ての試合でゴールマウスを守る事となった。
  • レゲエ音楽の愛好家でもある事から『横浜A・Sフリューゲルス 森敦彦レゲエ・セレクション』(JICK-89386)というタイトルのCDもリリースしていた。
  • 横浜フリューゲルス時代の1994年1月24日フジテレビ系列笑っていいとも!』内「テレフォンショッキング」のコーナーにゲスト出演したことがある。なお後に三浦知良ラモス瑠偉といった選手が現役中に出演したが、現役のJリーガーとしては初の同コーナー出演だった。この際、うじきつよしから紹介を受け、山本淳一に繋いでいる。
  • キャプテン翼(ワールドユース編)において、若島津健が高校卒業後にフリューゲルスに入団(後に名古屋グランパスエイトに移籍)したため、加茂周石末龍治とともに森敦彦が作中に登場している。

脚注

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  1. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1997』p42
  2. ^ 石塚啓次は2012年に退職している

参考文献

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  • 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
  • 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
  • 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
  • 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
  • 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9

関連項目

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外部リンク

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