コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

石末龍治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石末 龍治
名前
愛称 イシ
カタカナ イシズエ リュウジ
ラテン文字 ISHIZUE Ryuji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1964-07-22) 1964年7月22日(60歳)
出身地 兵庫県伊丹市
身長 184cm[1]
体重 75kg[1]
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1980-1982 日本の旗 伊丹北高校
1983-1986 日本の旗 東海大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1994 日本の旗 全日空/横浜フリューゲルス
1995-1998 日本の旗 ヴィッセル神戸 94 (0)
通算 94 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

石末 龍治(いしずえ りゅうじ、1964年7月22日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(GKコーチ)。

来歴

[編集]

伊丹北高校時代の3年のときに、兵庫県選抜入りし、兵庫県の初優勝に貢献、和田昌裕永島昭浩と共に「兵庫・高校三羽がらす」と呼ばれた。その後、東海大学を経て、1987年に全日空横浜サッカークラブに入団。1992年はレギュラー、1993年のJリーグ発足後は、森敦彦の控えに回ることになったが、森の不調や出場停止による試合出場時には好セーブを連発した。そのため、他チームの選手やサポーターからは「控え最強のGK」とも言われた。1993年天皇杯決勝では出場停止の森に代わり先発、安定感のあるプレーで優勝に貢献した[2]

1995年に地元である当時ジャパンフットボールリーグ(JFL)のヴィッセル神戸に移籍、翌年にはJFL2位となりJリーグ昇格に貢献した。なお、石末が移籍した年の5月に永島が、7月には和田も神戸に入団しており、13年ぶりに「三羽がらす」が揃うことになった。

1998年限りで現役を引退、その後もチームに残り、コーチ、アカデミースタッフとして後進育成にあたった。

2019年には三田松聖高等学校のアドバイザーに就任。

2020年からアルビレックス新潟のGKコーチに就任[3]

エピソード

[編集]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1987 全日空横浜 JSL2部
1988-89 全日空 JSL1部 10 0
1989-90 21 20 0 0 0
1990-91 12 0 0 0 0
1991-92 6 0 0 0
1992 横浜F - J - 5 0 0 0 5 0
1993 0 0 0 0 0 0 1 0
1994 7 0 2 0 0 0 9 0
1995 神戸 旧JFL 23 0 - 3 0 26 0
1996 30 0 0 0 3 0 33 0
1997 1 J 28 0 5 0 2 0 35 0
1998 13 0 4 0 2 0 19 0
通算 日本 J 48 0
日本 JSL1部 36 0
日本 JSL2部
日本 旧JFL 53 0
総通算

その他の公式戦

指導歴

[編集]
  • 1999年 - 2018年1月 ヴィッセル神戸
    • 1999年 - 2001年 普及コーチ
    • 2002年 - 2003年 ユース コーチ
    • 2004年 - 2005年 ジュニアユース 監督
    • 2006年 - 2007年 U21 GKコーチ
    • 2008年 育成アドバイザー
    • 2009年 - 2015年 U18 GKコーチ
      • 2010年 - 2016年 兵庫県サッカー協会GKプロジェクトチーフ(兼任)
    • 2016年 U18 GKコーチ兼アカデミーダイレクター
    • 2017年 - 2018年1月 アカデミーダイレクター
  • 2019年 三田松聖高等学校 アドバイザー
  • 2020年 - アルビレックス新潟 GKコーチ

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1998』p92
  2. ^ Jサッカーグランプリ 1994年2月号 p.4-p.9
  3. ^ トップチーム 石末 龍治 GKコーチ 就任のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2020年1月9日https://www.albirex.co.jp/news/58668/2020年1月9日閲覧 

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]