石末龍治
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名前 | ||||||
愛称 | イシ | |||||
カタカナ | イシズエ リュウジ | |||||
ラテン文字 | ISHIZUE Ryuji | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1964年7月22日(60歳) | |||||
出身地 | 兵庫県伊丹市 | |||||
身長 | 184cm[1] | |||||
体重 | 75kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1980-1982 | 伊丹北高校 | |||||
1983-1986 | 東海大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1987-1994 | 全日空/横浜フリューゲルス | |||||
1995-1998 | ヴィッセル神戸 | 94 | (0) | |||
通算 | 94 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
石末 龍治(いしずえ りゅうじ、1964年7月22日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元サッカー選手、サッカー指導者(GKコーチ)。
来歴
[編集]伊丹北高校時代の3年のときに、兵庫県選抜入りし、兵庫県の初優勝に貢献、和田昌裕、永島昭浩と共に「兵庫・高校三羽がらす」と呼ばれた。その後、東海大学を経て、1987年に全日空横浜サッカークラブに入団。1992年はレギュラー、1993年のJリーグ発足後は、森敦彦の控えに回ることになったが、森の不調や出場停止による試合出場時には好セーブを連発した。そのため、他チームの選手やサポーターからは「控え最強のGK」とも言われた。1993年の天皇杯決勝では出場停止の森に代わり先発、安定感のあるプレーで優勝に貢献した[2]。
1995年に地元である当時ジャパンフットボールリーグ(JFL)のヴィッセル神戸に移籍、翌年にはJFL2位となりJリーグ昇格に貢献した。なお、石末が移籍した年の5月に永島が、7月には和田も神戸に入団しており、13年ぶりに「三羽がらす」が揃うことになった。
1998年限りで現役を引退、その後もチームに残り、コーチ、アカデミースタッフとして後進育成にあたった。
2019年には三田松聖高等学校のアドバイザーに就任。
エピソード
[編集]- 1998年のJリーグ1stステージで、コンサドーレ札幌相手に痛恨のミスを犯して失点し、次節以降レギュラーから外されてしまった。しかし11月26日に行われたJ1参入決定戦(相手はコンサドーレ札幌)で、神懸りなセーブを連発しチームの降格を救った。
- 横浜フリューゲルス時代に、マンガの『キャプテン翼』に名前だけ登場し、若島津健にレギュラーを取られている。
所属クラブ
[編集]- 兵庫県立伊丹北高等学校
- 東海大学
- 1987年-1994年 全日空横浜サッカークラブ/全日空サッカークラブ/横浜フリューゲルス
- 1995年-1998年 ヴィッセル神戸
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1987 | 全日空横浜 | JSL2部 | |||||||||
1988-89 | 全日空 | JSL1部 | 10 | 0 | |||||||
1989-90 | 21 | 20 | 0 | 0 | 0 | ||||||
1990-91 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||||
1991-92 | 6 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1992 | 横浜F | - | J | - | 5 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | |
1993 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
1994 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | |||
1995 | 神戸 | 旧JFL | 23 | 0 | - | 3 | 0 | 26 | 0 | ||
1996 | 30 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 | |||
1997 | 1 | J | 28 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 35 | 0 | |
1998 | 13 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 19 | 0 | |||
通算 | 日本 | J | 48 | 0 | |||||||
日本 | JSL1部 | 36 | 0 | ||||||||
日本 | JSL2部 | ||||||||||
日本 | 旧JFL | 53 | 0 | ||||||||
総通算 |
その他の公式戦
指導歴
[編集]- 1999年 - 2018年1月 ヴィッセル神戸
- 1999年 - 2001年 普及コーチ
- 2000年 - 2006年 JFAナショナルトレセン コーチ(兼任)
- 2002年 - 2003年 ユース コーチ
- 2004年 - 2005年 ジュニアユース 監督
- 2006年 - 2007年 U21 GKコーチ
- 2008年 育成アドバイザー
- 2009年 - 2015年 U18 GKコーチ
- 2010年 - 2016年 兵庫県サッカー協会GKプロジェクトチーフ(兼任)
- 2016年 U18 GKコーチ兼アカデミーダイレクター
- 2017年 - 2018年1月 アカデミーダイレクター
- 1999年 - 2001年 普及コーチ
- 2019年 三田松聖高等学校 アドバイザー
- 2020年 - アルビレックス新潟 GKコーチ
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 石末龍治 - WorldFootball.net
- 石末龍治 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 石末龍治 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 石末龍治 - J.League Data Siteによる選手データ
- 石末龍治Facebook