コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

新條宏喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新條 宏喜
名前
カタカナ シンジョウ ヒロキ
ラテン文字 SHINJO Hiroki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-04-28) 1973年4月28日(51歳)
出身地 東京都国立市
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MFDF
利き足 右足
ユース
1989-1991 日本の旗 堀越高校
1992-1995 日本の旗 中央大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1999 日本の旗 東京ガス/FC東京 110 (6)
通算 110 (6)
獲得メダル
ユニバーシアード
1995 福岡 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

新條 宏喜(しんじょう ひろき、1973年4月28日 - )は東京都出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)、ディフェンダー(主に右サイドバック)。

来歴

[編集]

中央大学で全日本大学サッカー選手権(インカレ)優勝を経験し、1995年には大学選抜としてユニバーシアードに出場[1]

1996年東京ガスに入社し、大学時代に指導を受けた大熊清が監督を務める同社サッカー部(現FC東京)に社員選手として加入。小池知己から右サイドバックのポジションを奪い[2]、1年目からレギュラーに定着。全試合にフル出場し、同年のJFL新人王とベストイレブンを受賞した。後に岡島清延に代わる形でボランチに配される[3] ようにもなり、登録をDFからMFに変更。主に浅利悟とコンビを組んだ。1998年のシーズンからは先発メンバーで出場はするが途中で交代となることが増え始め、1999年のJ2初年度にはさらにその傾向が強まった。FC東京のJ1昇格に貢献したものの、その年12月に戦力外を言い渡され東京ガスの社業に専念することになり、高校・大学・東京ガスで共にプレーし、仲の良かった奥原崇と時を同じくしてサッカー選手として現役を引退、J1でのプレーは叶わなかった。

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1993 中大 - - 2 0 2 0
1996 東京ガス 4 旧JFL 30 3 - 3 0 33 3
1997 6 28 3 - 6 1 34 4
1998 26 0 - 3 2 29 2
1999 FC東京 J2 26 0 3 0 1 0 30 0
通算 日本 J2 26 0 3 0 1 0 30 0
日本 旧JFL 84 6 - 12 3 96 9
日本 - - 2 0 2 0
総通算 110 6 3 0 15 3 128 9

個人タイトル

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 競技結果・サッカー (試合番号:48) FINAL TOURNAMENT 第18回ユニバーシアード大会1995福岡
  2. ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、182頁。 
  3. ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、115頁。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]