森本学
ソフトバンク時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市鶴見区 |
生年月日 | 1978年1月6日(46歳) |
身長 体重 |
175 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト6巡目 |
初出場 | 2005年3月27日 |
最終出場 | 2011年6月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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森本 学 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2019年8月30日 - |
ジャンル | 野球 |
総再生回数 | 5,964回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2021年9月4日時点。 |
森本 学(もりもと さとる、1978年1月6日 - )は、大阪府大阪市鶴見区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]甲子園にも出場した兄の影響で小学3年より軟式野球を始める[1]。大阪桐蔭高3年生の夏には、三木肇のいる上宮高に敗れた。高校時代、投手以外のポジションは全て経験したという。
福井工大時代は2年生からレギュラーを獲得し、3年生時には全日本大学野球選手権大会に出場するも、相川良太のいる東海大に敗れている。4年春秋ベストナイン(遊撃手)、秋は首位打者[2]。
大学卒業後、シダックスに入社。1年目にはレギュラーになれなかったが、2年目からはベストナイン遊撃手の突然の引退によりショートのポジションを獲得。3年目には補強選手として第73回都市対抗野球大会に出場し、ベスト4入りしている。2002年度ドラフト会議で、福岡ダイエーホークスから6巡目指名を受けた[1]。
プロ入り後
[編集]1年目の2003年に故障し、ルーキーイヤーはリハビリで過ごした。その後も怪我などもあってなかなか一軍出場ができなかった。しかし、3年目の2005年に一軍初出場を果たすと[1]、プロ初安打・初打点も記録。
2006年には自己最多の出場機会を得て、川﨑宗則の代役スタメンや守備固め、本多雄一の二塁手定着後は三塁の守備固めなどで起用され、初めて一年を通して一軍に定着した。二塁手55試合、三塁手20試合、遊撃手12試合とさまざまなポジションを守り、チームでただ一人年間無失策を成し遂げた。
2007年、4月に川﨑宗則の怪我で出場機会をつかみ、遊撃手などで出場した。川崎の怪我が完治してからは二軍へ落ち、二軍でも打率1割台と不調で、その後は一軍にほとんど上がれなかった。
2008年は前年より出場機会が増えて54試合に出場。
2009年は開幕戦で松田宣浩の骨折で途中出場。その後も勝負強い打撃を買われスタメンに定着した。松田の復帰後は年間を通じて内野手のバックアップ要員に定着。不調が続いた川崎、本多の代役としてスタメン出場することもあった。松田の二度の長期離脱で空いた三塁を71試合守ったのをはじめとして、一塁手9試合、二塁手10試合、遊撃手も1試合務めて内野の全ポジションで出場した。明るい性格でファンも多く獲得し、ムードメーカーの役割も担った。
2010年6月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦にて、プロ入り8年目にして初本塁打を打つ。この試合は4安打5打点と活躍した。シーズン全体では打撃成績を落とし、出場試合数も少し減らしたが、一塁手を32試合、三塁手を27試合、二塁手も1試合こなして内野陣をバックアップした。
2011年は若手の明石健志の台頭などで出場機会が減り、10月1日、現役引退の意志を固めたと報じられた[3]。同月14日、正式に任意引退公示された[4]。
現役引退後
[編集]介護事業を手がけていた高校時代の同級生の影響もあり、引退の翌年2012年2月に地元大阪市へ戻り、介護福祉を行う株式会社フォレストブックを設立、デイサービス施設などを経営している[5][6][1]。2017年に現役時代を過ごした福岡に老人ホームをオープンした[5]。
選手としての特徴・人物
[編集]勝負強い打撃と内野全ポジションを器用にこなすユーティリティー性が武器[5]。
明るく気さくな人柄の持ち主[6]。ソフトバンク時代はチームのイジり役であると同時にイジられ役でもあり、貴重なムードメーカーとして年齢問わずに愛され、ファンからの人気も高かった[6]。
名前の読みを「マナブ」と間違われることが多く、後輩選手から「マナブさん!」と呼ばれると、「マナブちゃうで、サトルや!」と返すのが恒例となっている[6]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2005 | ソフトバンク | 6 | 5 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .250 | .400 | .250 | .650 |
2006 | 93 | 87 | 73 | 17 | 15 | 2 | 0 | 0 | 17 | 3 | 2 | 0 | 2 | 1 | 9 | 0 | 2 | 21 | 1 | .205 | .306 | .233 | .539 | |
2007 | 41 | 114 | 105 | 13 | 21 | 5 | 1 | 0 | 28 | 8 | 2 | 2 | 3 | 0 | 6 | 0 | 0 | 27 | 1 | .200 | .243 | .267 | .510 | |
2008 | 54 | 149 | 133 | 9 | 32 | 8 | 0 | 0 | 40 | 8 | 1 | 0 | 9 | 1 | 5 | 0 | 1 | 31 | 0 | .241 | .271 | .301 | .572 | |
2009 | 95 | 283 | 242 | 35 | 62 | 9 | 3 | 0 | 77 | 20 | 8 | 2 | 13 | 3 | 24 | 0 | 1 | 56 | 7 | .256 | .322 | .318 | .640 | |
2010 | 71 | 119 | 105 | 12 | 24 | 2 | 0 | 1 | 29 | 12 | 2 | 2 | 3 | 1 | 9 | 0 | 1 | 19 | 0 | .229 | .293 | .276 | .569 | |
2011 | 15 | 5 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .200 | .200 | .200 | .400 | |
通算:7年 | 375 | 762 | 667 | 87 | 156 | 26 | 4 | 1 | 193 | 52 | 15 | 6 | 30 | 6 | 54 | 0 | 5 | 157 | 9 | .234 | .294 | .289 | .583 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2005 | ソフトバンク | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |||||
2006 | - | 55 | 48 | 69 | 0 | 15 | 1.000 | 20 | 3 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | 12 | 13 | 16 | 0 | 4 | 1.000 | ||||||
2007 | - | - | - | 41 | 37 | 92 | 3 | 15 | .977 | ||||||||||||||||
2008 | - | 22 | 23 | 25 | 0 | 4 | 1.000 | - | 30 | 42 | 71 | 4 | 14 | .966 | |||||||||||
2009 | 9 | 28 | 1 | 0 | 2 | 1.000 | 10 | 20 | 28 | 0 | 6 | 1.000 | 71 | 30 | 92 | 3 | 7 | .976 | 1 | 2 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |
2010 | 32 | 99 | 9 | 0 | 7 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 27 | 10 | 29 | 2 | 2 | .951 | - | ||||||
2011 | 11 | 16 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | - | ||||||||||||||||
通算 | 52 | 143 | 11 | 0 | 10 | 1.000 | 90 | 91 | 122 | 0 | 25 | 1.000 | 121 | 43 | 126 | 5 | 10 | .971 | 85 | 94 | 182 | 7 | 34 | .975 |
記録
[編集]- 初出場:2005年3月27日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、11回裏にフリオ・ズレータの代走で出場
- 初先発出場:2005年9月25日、対西武ライオンズ20回戦(インボイスSEIBUドーム)、2番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、1回表に松坂大輔から一邪飛
- 初安打・初打点:同上、7回表に山崎敏から中前適時打
- 初盗塁:2006年6月10日、対東京ヤクルトスワローズ5回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回裏に二盗(投手:花田真人、捕手:米野智人)
- 初本塁打:2010年6月29日、対千葉ロッテマリーンズ10回戦(千葉マリンスタジアム)、3回表に吉見祐治から左越2ラン
背番号
[編集]- 29 (2003年 - 2004年)
- 32 (2005年 - 2011年)
脚注
[編集]- ^ a b c d “連載コラム 「続・第二のプレイボール」|Vol.5 | 神戸っ子”. kobecco.hpg.co.jp. 2024年1月6日閲覧。
- ^ 北陸大学野球2021年秋季リーグ戦
- ^ ソフトバンクの清水と森本が現役引退へ - スポニチ,2011年10月1日記事
- ^ 2011年度任意引退選手 NPB公式サイト 2011年10月14日
- ^ a b c “森本 学さん/介護職を人気職に変えた社長—いつかそう呼ばれるために”. アヴァンティオンライン (2017年4月20日). 2018年5月1日閲覧。
- ^ a b c d 田尻 耕太郎. “元ソフトバンク・森本学さんの第二の人生 介護の道を選んだ理由”. 文春オンライン. 2021年9月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 森本学 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)