森本確也
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森本確也 もりもと かくや | |
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生年月日 | 1862年5月11日 |
出生地 |
日本 志摩国英虞郡 (現三重県志摩市阿児町鵜方) |
没年月日 | 1927年2月10日(64歳没) |
出身校 |
専修学校 (現専修大学) |
前職 | 農業 |
所属政党 |
(立憲改進党→) (進歩党→) (憲政本党→) 無所属 |
選挙区 |
(三重県第5選挙区→) 三重県郡部選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1894年3月 - 1902年8月9日 1903年3月 - 1903年12月11日 |
森本 確也(もりもと かくや、1862年5月11日(文久2年4月13日[1])- 1927年(昭和2年)2月10日[2][3])は、明治から大正期の地主、農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。号・得堂[4]。
経歴
[編集]志摩国英虞郡、のちの三重県[2]志摩郡[3]鵜方村[5](鵜方町、阿児町を経て現志摩市阿児町鵜方)で、大地主[4]・森本佐左衛門、なつ の長男として生まれる[1]。1877年(明治10年)三重県師範学校を卒業[2][3]。さらに同人社英学科及び漢学科を卒業し[2][3][4][5]、専修学校(現専修大学)で経済学を学んだ[2][3][5]。帰郷して、しばらく著作業に従事した[4]。
1891年(明治24年)3月、家督を相続[1]して農業を営み[2]、三重県会議員に選出され、同常置委員も務めた[2][3][4][5]。また、三重県農工銀行取締役、同頭取、三重銀行[注釈 1]取締役、津商業会議所特別議員などに在任した[1][4]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙の三重県第5区(立憲改進党所属)で当選し[4][6]、その後、第8回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算5期在任した[2][3][5]。
国政選挙歴
[編集]- 第3回衆議院議員総選挙(三重県第5区、1894年3月、立憲改進党)当選[6]
- 第4回衆議院議員総選挙(三重県第5区、1894年9月、立憲改進党)当選[7]
- 第5回衆議院議員総選挙(三重県第5区、1898年3月、進歩党)当選[7]
- 第6回衆議院議員総選挙(三重県第5区、1898年8月、憲政本党)当選[7]
- 第8回衆議院議員総選挙(三重県郡部、1903年3月、無所属)当選[8]
著作
[編集]- 『政党論』森本確也、1892年。
- 編著
- 『本邦歴史』石川治兵衛、1886年。
- 訳書
- アレキサンダー・ベイン著、谷本富共訳『心身相関之理』大倉書店、1987年。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 田中重策篇『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』廣新二、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。