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森陽信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森 陽信(もり ようしん、元文元年〈1736年〉 - 文化5年(1808年))は、江戸時代後期に大坂で活動した森派の絵師森如閑斎の長男で、森周峰森狙仙の兄。名は陽信(真)、俗称は藤蔵、号は永春斎。

略伝

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櫛橋栄春斎正盈について狩野派を学び、櫛橋永春斎とも称した。正盈については詳らかでないが、狙仙の師勝部如春斎の画友だった。陽信は弟たちに比べると画名が劣っていたらしく、文化4年(1807年)に出た番付表「浪華画人組合三幅対」では周峰、狙仙、森春渓(狙仙弟子)、森雄仙(周峰養子)らの名はあるが、陽信の記載はなく、現存する作品も少ない。『扶桑画人伝』では73歳で没したとされるが、77歳の落款を持つ作品も確認されている[1]

作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
松図小襖 西本願寺尾崎別院(阪南市 款記「櫛橋陽信筆」
剡溪訪戴図 紙本墨画 襖4面 175.0x88.7(2面)
174.3x88.9(2面)
道成寺 款記「陽信筆」/「永春(朱文)斎(白文)」方印.・「陽眞」朱文方印 次の間所在。興がのった王子猷が戴安道を訪ねようとして、途中で興が冷めて帰ってしまった逸話を描く。
桜に雉図 紙本墨画著色 襖4面 174.0x92.5(各) 道成寺 1800年(寛政12年) 款記「永春斎 森陽信行年六十五歳筆」/「芳信之印」・「陽眞」朱文方印・「永春(朱文)斎(白文)」方印 玄関の間所在。
群鶴図屏風 紙本銀地著色 六曲一双 本間屏風 坂井市丸岡歴史民俗資料館 款記「永春斎森陽信筆」
桐鳳凰図 紙本金地著色 襖9面 177.2x90.4(各) 大光寺(長崎市 款記「森陽信筆」・「陽眞」朱文円印 大光寺内陣の両側。元は10面あったという。

脚注

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  1. ^ 都良世 1993, p. 64.

参考文献

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  • 土居次義「森陽信のこと」『日本美術工芸』61 publisher=、1948年5月、20-21頁。 
  • 大阪市立美術館, 武田恒夫, 冷泉為人, 神山登『近世大坂画壇』同朋舎出版、1983年。ISBN 4810403521全国書誌番号:84013851 
  • 菅村亨「障壁画の旅-27-道成寺(どうじょうじ)(和歌山県川辺町)の障壁画:大岡春川・森陽信ほかの襖絵」『日本美術工芸』第575号、日本美術工芸社、1986年8月、32-41頁、CRID 1523106605482520832ISSN 09119221NAID 40003018154 
  • 都良世「森周峯と森派」『日本美術工芸』第657号、日本美術工芸社、1993年6月、62-69頁、CRID 1520854805261798144ISSN 09119221NAID 40003018951 
  • 木村重圭「大坂画壇の展開と狩野派 : 森狙仙筆 墨馬図をめぐって」『甲南女子大学研究紀要. 文学・文化編』第40巻、甲南女子大学、2004年3月、A65-A76、CRID 1050845763340752768ISSN 1347-121X