森陽信
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森 陽信(もり ようしん、元文元年〈1736年〉 - 文化5年(1808年))は、江戸時代後期に大坂で活動した森派の絵師。森如閑斎の長男で、森周峰、森狙仙の兄。名は陽信(真)、俗称は藤蔵、号は永春斎。
略伝
[編集]櫛橋栄春斎正盈について狩野派を学び、櫛橋永春斎とも称した。正盈については詳らかでないが、狙仙の師勝部如春斎の画友だった。陽信は弟たちに比べると画名が劣っていたらしく、文化4年(1807年)に出た番付表「浪華画人組合三幅対」では周峰、狙仙、森春渓(狙仙弟子)、森雄仙(周峰養子)らの名はあるが、陽信の記載はなく、現存する作品も少ない。『扶桑画人伝』では73歳で没したとされるが、77歳の落款を持つ作品も確認されている[1]。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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松図小襖 | 西本願寺尾崎別院(阪南市) | 款記「櫛橋陽信筆」 | |||||
剡溪訪戴図 | 紙本墨画 | 襖4面 | 175.0x88.7(2面) 174.3x88.9(2面) |
道成寺 | 款記「陽信筆」/「永春(朱文)斎(白文)」方印.・「陽眞」朱文方印 | 次の間所在。興がのった王子猷が戴安道を訪ねようとして、途中で興が冷めて帰ってしまった逸話を描く。 | |
桜に雉図 | 紙本墨画著色 | 襖4面 | 174.0x92.5(各) | 道成寺 | 1800年(寛政12年) | 款記「永春斎 森陽信行年六十五歳筆」/「芳信之印」・「陽眞」朱文方印・「永春(朱文)斎(白文)」方印 | 玄関の間所在。 |
群鶴図屏風 | 紙本銀地著色 | 六曲一双 | 本間屏風 | 坂井市丸岡歴史民俗資料館 | 款記「永春斎森陽信筆」 | ||
桐鳳凰図 | 紙本金地著色 | 襖9面 | 177.2x90.4(各) | 大光寺(長崎市) | 款記「森陽信筆」・「陽眞」朱文円印 | 大光寺内陣の両側。元は10面あったという。 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 土居次義「森陽信のこと」『日本美術工芸』61 publisher=、1948年5月、20-21頁。
- 大阪市立美術館, 武田恒夫, 冷泉為人, 神山登『近世大坂画壇』同朋舎出版、1983年。ISBN 4810403521。全国書誌番号:84013851。
- 菅村亨「障壁画の旅-27-道成寺(どうじょうじ)(和歌山県川辺町)の障壁画:大岡春川・森陽信ほかの襖絵」『日本美術工芸』第575号、日本美術工芸社、1986年8月、32-41頁、CRID 1523106605482520832、ISSN 09119221、NAID 40003018154。
- 都良世「森周峯と森派」『日本美術工芸』第657号、日本美術工芸社、1993年6月、62-69頁、CRID 1520854805261798144、ISSN 09119221、NAID 40003018951。
- 木村重圭「大坂画壇の展開と狩野派 : 森狙仙筆 墨馬図をめぐって」『甲南女子大学研究紀要. 文学・文化編』第40巻、甲南女子大学、2004年3月、A65-A76、CRID 1050845763340752768、ISSN 1347-121X。